Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

彝 族 の 新 年

烏里 烏沙

 彝族の新年は彝年といいます。涼山あたりでは彝語で「グゥス」と呼ばれていますが、それは新年を過ごすという意味です。彝年の間は旧年中が豊作であったことを祝い、来る年も順調でありますようにとの祈りを込めて過ごします。彝年は彝族にとって一年間の重要な行事ですので大事にしており、彝年を迎えるにあたってはまず、吉日を選び、年貨を用意し、家の中や周囲を清掃します。そして、賑やかに楽しく彝年を過ごすのです。

 彝年は、新暦のお正月のように決まった日ではありません、一般的は村のビモ(祭司)がヴェトゥ(神籖筒)やイ族八卦を駆使して占い、農暦10月の吉日を選んで彝年を決めます。イ族の干支(えと)は60日周期で、12の動物も漢民族や日本とおなじ顔ぶれですが、鶏、猪、牛、龍などの日はよくなく、彝年を迎える吉日として選ぶことはなく、猴、犬、鼠、虎の日が吉日とされ、彝年はそれらの日から選ばれます。

 年貨はいろいろ用意されますが、中でも一番大事なのは「過年豚」です。豚の大きさ、太っているか、痩せているか、用意できるか、できないかでその家族の勤勉さが評価されたりします。実は、彝年は生きている人の新年だけではなく、亡くなった祖先も新年を迎えるのです。大きくて太った「過年豚」を用意できると、周りの人々からほめられ、更に祖先も楽しく新年を過ごし、祖先から子孫に幸福と繁栄をもたらすと信じられています。

 彝年を迎える前日は村の川辺が賑やかです。女性たちは洗濯物や、食器などを背負って川辺に洗いに行きます。その後、家の中や外をきれいに掃除するのですが、掃除を始める前に、仏壇の祖先にお酒を捧げ、祖先に「お陰様でよい時代を迎えています。あなたの子孫たちはあなたたちに年貨を用意し、家をきれいに掃除します。あなたたちもどうぞよい新年を過ごしてくださるようお祈りします」と心を込めて祈ります。

 彝年は3日間続きます。第一日は「グゥス」といい、その次の日は「グゥスカゴ」と、第3日目は「ボゥジ」といいます。

 第一日目は彝年の重要な行事で、豚の屠殺です。村にピモ(祭司)やスーニー(シャーマン)が住んでいれば彼らは常に優先権がありますので、先ずかれらの家の豚から屠殺し、その後、村の長老や、尊敬されている家の「過年豚」が屠殺されます。屠殺を始めるにあたって、先ずは祖先にお酒を捧げ、屠殺する若者にもお酒が振舞われます。屠殺が済むと「清め」をしなければなりません。まっ赤に焼けたタマゴ型の小石を水のはいった木枕に落とし、発生した水蒸気で屋内外のいたる所を清めていきます。そして豚は先祖がやってきた東方に向けて寝かせ、刀を振りおろします。そのとき刃に付着した血糊や滴る血を看て、今年がどんな年になるかを占います。

 彝年のおせち料理は主にお酒、肉塊、蕎麦もちとご飯です。肉とご飯が用意できるとやはり、先ず祖先に供えられ、その後、家族全員揃って「年飯」(新年のご馳走)を食べ始めます、新年の間は、美味しいものをたくさん食べ、お酒も心ゆくまで飲むのが彝族の習慣です。

 2日目はグゥスカゴ(玩年)とよばれます。地方により、夜中に「偸水、偸青菜、偸圓根」(※ 偸=盗)の習慣があります。若い男女が夜の明ける前にこっそりと河辺や畑に行き、野菜を盗みます。それを防ぐために、前日、畜生の糞や、人間の大便などの肥料を入れます。それ等を畑に施すとにおうので、盗まれないというような効果があります。

 この日は玩年(※ 玩=遊)ですので、いろいろの催しがあります。子どもたちはそれぞれ豚の脚と蕎麦もちを持って野外に行き、みんなが持ち寄った豚の脚と蕎麦もちを集めます。1人の老人が豚の脚の肉をきれいに削り落とし、削り落とした肉は蕎麦もちと混ぜて、集まってきた子どもたちが分け合って食べます。

一方大人の楽しみは競馬です。彝族のことわざに「馬の価値人間に匹敵する」とありますが、涼山の彝族は貧富と関係なく、昔から馬を飼う習慣があり、乗馬も子ども時代から慣れ親しんでいます。競馬は彝年だけではなく、松明祭りの時も催されますが彝族の大人達の楽しみの最たるものです。競馬は主に速度競馬と並み足の2種類で行われ、競馬が済むと、皆で村の人々の家一軒一軒訪ねてお酒を飲み回ります。途中で酔いつぶれて、同行できなくなる人が出ると、その人を家まで送り届け、また次の家へ飲みに行くといったふうに、翌日の朝まで続けます。

 3日目の「ボゥジ」は、先祖を祀るや先祖を送る意味で、この日の朝は先祖を送る儀式を行ないます。早朝、鶏が鳴くと、仏壇の前においてあるご飯を炒飯にし、煮た肉をもう一度煮込んで、焼いた肉をもう一度焼いて、竹で編んだ皿に入れ、両側にナイフとスプーンを置きます。それは祖先が帰る前のご馳走です。それと同時に、炒面(炒めたそば)を袋に入れてドアの上に架けます。これは祖先が帰る途中の乾糧(お弁当)です。これらの準備が終わると、世帯主(男性に限られる)は先祖を送る経文を唱え「子孫たちを連れ去ることなく、健康に過ごせるよう助けてほしい。そして今年も豊作であるように」と祈ります。そして、寝ている家族全員を呼び起こし、全員が起きると、一緒に送年飯(年を送りご飯)を食べます。

 

参考資料

『千年涼山』涼山彝族奴隷社会博物館 編著

『涼山彝族に黄色い傘』作者 巫達・協力 清水享 季刊民俗学74号


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――