Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

お酒と涼山の彝族

(下)

烏里 烏沙

 前 同じ民族でも、住む地域により、それぞれ飲酒の習慣は違います、涼山彝族の人たちが飲酒する時は、独自の習慣と決まりがあります。彝族のほとんどは、自然神霊を崇拝し、酒を飲む折の一杯目の酒は自然神霊と祖先に捧げます。客が訪ねて来た場合は主客をはっきりさせなければなりません。主人は自分の懇ろな情を客に示すために、まず、一杯を客に献杯します。その後、自分も客と一緒に飲み合います。酒を飲む間の、主人と客の坐る位置、酒器の使用などに決まりがあります。先輩と後輩がある時は、まず後輩が先輩に酒を勧めます。彝族には「地を耕す時下から上へ、酒をすすめる時も下から上へ」、また「酒は年長者のもの、肉は若者のもの」などという諺があります。酒を勧める時、強制的に相手に飲ませることはせず、酒を勧める時は、勧める方は立ち上がって両手で酒杯を持ち、相手に丁寧に差し上げます。勧められた方(年寄りと先輩は例外)も立ち上がり、両手で酒杯を貰います。そして、酒杯を貰い受けた客は飲み干さずに酒杯に酒を少し残さなければなりません。最後の一口を主人に残すことにより、年々、主人の酒は尽きることなく、次回来訪の折もまた共に飲めるという意味があります。

 彝族は「酒があれば宴会になる」というように、客の来訪を好み、性格も真面目で豪放豪快です。飲酒の折、料理がなくてもこだわらず、「喝寡酒」といいます。共に飲み合い、語り合い、賑やかで暖かい雰囲気をつくり出すよう心掛け、ひとりで静かに飲むのは恥ずべきことと思われています。ですから、酒の席では、民族舞踊を踊ったり、歌を歌ったりということになります。歌の内容はその場でその場の即興で作り歌うことが多いです。

 酒はいったいどのぐらい飲むのがいいのか。どのくらい飲めば「酒中趣」(酒を飲むことのおもしろみ)を味わうことができるのか。『事林広記』に 「美酒飲至微酔後、好花須看半開時」(酒が美味しいのは酔いかけている時、花は半開のときが好ましい)とあるように、微酔(酔いかけているのに完全には酔っていない)のときが、おそらく飲酒の最高境地でしょう。また、飲酒の難しさも、おそらくここにあるのでしょう。飲酒のプラス面とマイナス面は、酒そのものが原因ではありませんし、飲めば飲むほど楽しいということもないのです。「酒中趣」は飲酒する人自身がその一線を把握できるかできないかということなのです。しかし、その一線はもっとも把握しにくく、ほろ酔いを感じたときに酒杯を手放せる人はなかなかいないのです。孔子には「唯酒無量、不及乱」という言葉があり、不及乱はその「一線」であり、飲酒の限度というものでしょう。

 酒はもちろん良いもので、いろいろな価値と効能があります。しかし、情況によっては、逆の路に入って走ってしまうこともあります。昔から酒が原因になり「天子亡国、匹夫亡身」(天子は国を亡ぼし、匹夫は命を失う)というような物語りが結構あるのです。従って飲酒には節制がなければならず、彝族にも飲酒節制の酒徳があります。「酒好只需一杯、子賢只要一個」(美味しい酒は一杯あれば十分、子供が賢ければ1人でよい)、「酒喝一杯値黄金、酒喝二杯値白銀、酒喝三杯狗尿也不値」(一杯目の酒は黄金の値があり、二杯目の酒は白銀の値がある。けれども三杯目は犬の尿の価値もない)、「男人的命不好、娶了個胃疼妻;女人的命不好、嫁了個酣酒夫」(運が悪い男は、病気の嫁を貰う。運が悪い女は、飲んだくれの嫁になる)などがあり、すなわち、彝族の酒を飲む「節制」の思想を表現していいると言えます。

 最後に彝族の歌謡一曲を紹介し、3回に分けて紹介した「お酒と涼山の彝族」の章を終わらせたいと思います。

 

   『有酒一人喝一口』(お酒があればひとり一口飲みましょう)

 

   彝家的祖祖輩輩(彝族の祖祖代々)

   自古心胸開闊(昔からこころが広い)  

   我們喜愛白酒*)(われわれはバイチュウ白酒が好き)

   我們尊重客人(尊敬するお客さま)

   不問ト纓自何方(どちらからいらっしゃったかを問わず)

   不管ト繼得怎様(どんなに貧しいでも構いません)

   只要ト繿鱒i彝山(もし、あなたが彝郷にいらっしゃるなら)

   我們就是一家(われわれは一つの家族)

   只要ト辮^心実意(もし、あなたが真面目な人なら)

   我們就是朋友(われわれは友だちになれる)

   トト怕窮得穿不上衣(貧しくて着る物がなくても)

   トト怕只有半勺米(半勺のお米しかなくとも)

   トト怕只有半只鶏(半羽の鳥しかなくとも)

   トト怕只有半_蕎__(蕎麦の餅が半分しかなくとも)

   トト怕只有一口酒(お酒がたった一口しかなくとも)

   我們都要一人吃一半(われわれは半分つつ食べよう)

   我們都要一人喝一口(われわれは一口ずつ飲もう)

   因為ト辮・貴客(あなたは大事なお客さまだから)

   因為ト辮・彝家的朋友(あなたは彝族の友だちだから)

   因為我們是一個祖先的後代(われわれは同じ祖先の子孫だから)

   本来我們就是一ソテ樹上的葉子(もともとわれわれは同じ木の葉です)

 

                                      2004年2月15日 


HOME

――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――