Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

彝   人

(中)

烏里 烏沙

 香港と中国が共同制作した映画『天菩薩』はなんらかの理由で中国での上演が禁止され。話では第二次大戦中、抗日戦支援のため中国四川省の山岳地帯に派遣された飛行機が墜落した。事故の調査に来たアメリカ軍将校ウッドはそこで原住民イ族に捕えられ、その後、支配階級の黒彝(奴隷主)に売られ、10年間に渡り娃子(奴隷)として使われる壮絶な実話をもとに映画化された衝撃的作品である。ウッドは20世紀の50年代末までずっと涼山で暮らし、現地の女奴隷と住み、2人の子供もできた。現在は家族4人がアメリカに暮らしている。

 歴史を遡ってみると、彝族はいくつの国を立てた。8世紀の中ごろ、雲南省の彝族は他の民族と連合し、彝族を主とする南詔国を建て、のち白族が統治した。1部の彝族はまた貴州省で「自杞国」、「羅殿国」などのいくつの国を建てた。宋の時代に彝族は「鳥蒙」(うもう)と称した。以後、歴代の支配者は彝族に対し圧迫を加えるとともに、侮辱的な名称を付けた。たとえば、古くは「西南の夷」、漢代には「南蛮」(なんばん)、東晋では「箚」、隋・唐の時代は「サンバン爨蛮(さんばん)」、清以後新中国成立前までは「果羅」(ゴロ)と称した。

 彝族のことわざに「人ヒ苴ッ源、身分九等」(人間は同祖先だが、階層は9つに分けられている)。前漢頃から、彝族社会の内部、すでに5つの階級に分化したという。それは今世紀にいたるまで、悪名高い奴隷社会制度として、彝族社会を縛りあげてきたのだ。解放前、階級は土司(首長)である「茲莫」(ンツモ)のもと、四つに分かれていた、支配階級が黒彝の「諾サ」(ノホ)。平民階級が白彝の「曲諾」(チュノ)。半奴隷で農奴の「クツ加」(ガジェ)。家内奴隷の「クツ西」(ガシ)。その人口比率は、黒彝4パーセント、白彝55パーセント、その他41パーセントであった(1956年)。

  白彝またの名「白骨頭」(パイクートウ)「白姓娃子」(パイシンワーツ)は、平民階級や、農奴階級であった。彼らは家屋とわずかばかりの土地はもっていたが、すべてのことは主人の黒彝に従わなければならなかった。田畑が足りないときは黒彝から土地を借りて耕作し、収穫は平均して小作人4、地主6の割合であった。正月、または主人の冠婚葬祭のときには、酒とか豚・牛・羊を献上しなければならず、また主人のために耕作や放牧、家を建てたりするが、それらはすべてただ働きである。ときには主人が「仕返し」を行う際に、白彝は出陣の義務さえ負った。

 白彝のなかで地位もっとも低いのが「クツ西」(ガシ)で、「娃子」(ワーツ)ともいう。彼らは総人口の約10パーセントを占めていた。その多くは売買、略奪されてきた漢族出身の者であったともいわれている。彼らは黒彝から買われたものか、あるいは周囲の民族との戦闘で捕虜になったもので、転売したり、与えたりすることができた。長く奴隷として働くと、主人は彼らを結婚させ、生まれた子供を娃子にする。もし主人が気に入れば、10数年、もしくは2〜3代後に、わずかばかりの耕地を与えられ、自立して白彝の身分を取得する。白彝と娃子が涼山彝族の90%を占める。

 この奴隷社会制にメスがはいったのは、ようやく1956年のことだったという。民主化の断行が遅れたのは、中華人民共和国成立後も、なお抵抗勢力が存在したからであろう。

 解放後、財産を失った黒彝は極貧の境涯に陥り、白彝がかつての主人を養うこともままあったといわれる。現在、表向きは階級がなくなったとはいえ、なお人びとの心には根深く残り、今日までも「黒彝」と「白彝」のあいだが厳しく対立している。

 昔、黒彝の各部族は、土地を広げ、財貨を略奪しようとして、しばしば「仕返し」と称する戦闘を繰り返した。こうした争いは数代にもわたり、生命・財産の損失はきわめて大きかった。彝族地区の各地には砦が散在し、いかに「仕返し」が普遍的であったかを示している。

 歴史上、大量の彝族が雲南に逃避したが、その主な原因は、1つは「仕返し」が頻繁なされたためであり、もう1つは漢族が侵入して、その被害を受け、雲南や、東南アジア諸国に逃避したのである。

 厳格な血統主義と身分制度を維持してきた彝族は,一夫一妻制をとっていた、貴族は内婚制であった。「純血な貴族」は「諾伯」(ノバ)といい,歴史上被支配階級と混血した経歴のある貴族は「諾底」(ノティ)といい,相互に通婚はしなかった。また,寡婦をその亡夫の弟が継承するレヴィレート婚の存在も見られた。

 支配階級のなかに、一部の黒彝が特権をもち、一夫多妻制もあった。また、白彝のなかで最低位の「娃子」でも、一夫多妻制が存在し、それは支配階級である黒彝がもっと「娃子」が欲しくて、多妻制にさせるわけだが、そういう傾向が多くないである。


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――