Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

彝   人

(上)

烏里 烏沙

 中国には56民族が住み、それぞれの民族は異なる文化、風習を持つ。彝族の「彝」は「夷」からきている。「夷」は「漢族」の周辺住む未開の民のことで、古代中国では漢族政権の周辺に、東は東夷、南は南蛮、西は西戎、北は北狄などの民族集団が住んでいた。その呼称には差別が入っていると思われ、彝族も「夷」と呼ばれてきた。

 彝族は、中華人民共和国成立後、はじめて1つの民族集団として統一された。その折、かつて羅羅、夷人、夷家などと呼ばれ、蔑称の「夷」が通称であったのを「彝」に改めて民族名称と定めた。漢字のかたちから見れば、「彝」は米も、糸もあることで、豊かさの意味も表している。だが、1つの文字に複数の民族を無理にまとめたのは無理ではなかったかと思う。つまり、雲南省は新中国になるまで、「人種の博物館」といわれ、三百余種の少数民族がいて、そのうち半数以上は彝族系の民族だった。

 彝族のルーツにも、いろいろな説があり、彝族の祖先は、黄河上流地域を発祥地とし、その後しだいに南下して、長江上流域の金沙江・岷江の両河川流域に到達、定着したとされるのが一般的だが、もう1つは、二千年以上前から、彝族の祖先が雲南省の茲茲蒲武(現在の昭通)あたりに居住していたという説がある。しかし、どちらの説も私は納得できない。

 多くの彝語の文献をみると、もともと、彝族の祖先は昔「レ之鹵」に居住していたと思われる。そして、「レ之鹵」は彝語発音で、いまの「成都」のことらしいという説もあり、研究者の間では最近認められるようになった。彝族の人たちは成都平原で生活し、古蜀の王である蚕叢、トー杜ユー宇を彝族の祖先と見なした。蜀は秦に滅ぼされ、彝族の住民たちも追い払われ、民族集団として南に大移動した。そんな歴史を語る彝族の言葉に、「漢来彝走」があり、漢民族とは付き合わないことを意味する。今は主に、雲南、四川、貴州、広西に住んでおり、一番集中している地域は大、小涼山のあたりである。

  近年脚光を浴びた三星堆文明は、これまでの中国文明と違って、誰が造り出した文明か今のところ断定が下されていないが、彝族の祖先が造った文明ではないかという説がある。

 一方、日本では、日本人のルーツをさぐるために、雲南省の彝族居住地に入っていろいろ調べる日本の学者たちもかなりいた。

 彝族については、中村保氏の『ヒマラヤの東』から引用する:

 「太平天国の乱の末期、石達開の軍を苦しめ、長征のとき、義により同盟を結んで紅軍を授けた勇猛をもって鳴るイ族である。が、経済的には今は漢人に従属し、彼らよりもより貧しい暮らしに甘んじており、大半は大涼山の奥深いところに追い込まれているか、あるいは省境沿いの雲南側に住んでいる。」

 「イ族は人種的には漢族やほかの少数民族と異なり、大柄でアラブ系的な彫りの深い顔つきをしている。しかしチベット族、納西族、白族、リス族のような明るさは感じられない。むしろ挫折した無力感と暗さの印象が強い。」

  彝族は支系が多く、今日までも50以上の支系が数えられる。農業、牧畜業、天文、歴法、気象、医薬などの分野で独得の創造が多くみられ、自分の言語、文字を持ち、しかも、いまでも使われている。また1年を10か月、1か月を36日とする独自の太陽暦法があるが、一部分の地域では1年を13か月、1か月を28日とする独自の人体暦法(女性の月経で計算したもの)もあった。

 彝族の総人口が約700万人で、中国の少数民族中第6位、彝語系原語を話すの少数民族(白族 ナシ族ラフ族 リス族など)のなかでは最大の人口を有する。主に四川省と雲南省の省境にある大・小涼山地区と雲南省内に分布し、ついで貴州省と広西壮族自治区の一部に分布し、一部はミャンマー、ベトナム北部、タイ北部などのインドシナ半島北部に至っている。

 


HOME

――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――