Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

阪神電鉄と旅行作家協会が主催した「ハービス旅大賞」コンテストで佳作に入選

 

祈りの風に吹かれて

山本のりこ

 

 ヤクの鳴き声で目が覚めた。遠くで、かすかに犬の遠吠えが聞こえる。枕もとの懐中電灯に手を伸ばし、腕時計を照らすと、2時を少し回ったところだった。

 ひどい頭痛と吐き気に、身の置き所がない。深く深呼吸してみる。時々こうやって、なんとか酸素を全身に行き渡らせようと試みるが、果たしてそれが効いているのか。時々、チラホラと、弱気な考えが浮かんでは消える。

 寝袋ごと身体を起こしてみた。手探りで、足元の携帯用酸素ボンベを探ってみる。真っ暗なテントの中では、なかなか手に当たらない。やっとのことで缶をつかみ、口元に持ってくると、吸い口がコロンと転がってしまった。それは、暗闇の中で白く浮かび上がっている。手を伸ばしてみたが、届かない。身体をもう少し折り曲げれば届きそうな距離だが、身体がいうことをきかない。高山病になると、動くこと自体が億劫になるようだった。

 私は小さく溜息をつき、缶を放り投げた。

「チベットに、幻のテントの寺を探しに行く」これが今回の旅の目的だった。ランクル三台に、食料品や、荷物と共に乗り込み、ラサを出発した。そして、2日がかりで、ここチャンタン高原にたどり着いたのは昨日のことだ。標高四千八百メートル、遊牧民のテントがポツンと一つあるだけの場所、そんな所に私達はテントを張ったのだった。そして、 

「もう、だめだ」

そう言って、何人かは昨日ラサへ戻って行った。日程が限られていたため、無理に高度を上げたのが災いしたらしい。地元のチベット人を除いて、ほとんど全員に高山病の症状が現れていた。

 皆はラサにもう着いただろうか。そんな事を考えながら、長い夜が過ぎていった。

 

 翌朝目覚めると、不思議と身体が軽い。テントの外へ出ようとすると、真夏だというのにテントのジッパーが凍っていた。

 外からお湯をかけてもらい、外に出た。まだ、ほんのり薄暗さが残ってはいたが、ちょうど遠い雪山の間から、太陽が昇りきったところだった。高原を、力強くゆっくりとオレンジ色に染めていく。果てしなく広がる高原を三百六十度見渡すと、昨日までの憂鬱な気分は、ウソのようにすがすがしい。

「おはよ、ごじゃいます」

 覚えたての日本語で、トンジュが笑いかけてきた。彼は、チベット人運転手。車のボンネットを開けて、顔がくっつきそうなくらいに中を覗きこんでいる。いつも被っている真っ赤なキャップが、ずり落ちそうだ。

 少数民族の出身であるウリが、含み笑いをしながらこちらにやってきた。彼は私の友人でもあり、今回の旅は、彼が計画してくれたものだった。

「ノリコ、今日はお寺見つかるかな」

 ニヤニヤしている。

「きっと、見つかるよ」

 少しムキになって横を向いた。

 遥か彼方に、ヤクの群れを連れた遊牧民が見える。ゆったりとした時が流れていた。

 

「さあ、行きますか」

 西瓜とパンの簡単な朝食が済むと、ウリの掛け声で、車に乗り込んだ。 

 そこら中穴だらけの悪路を、上下に跳ねながら進む。途中、野ウサギが穴の中から顔を出したり、引っ込めたり。めったに通らないであろう、車に驚いたように、巣から飛び出しては、また隣の穴へ移る。

「しかし、ホントにあるのかね」

 父島に住む渡辺さんが、助手席で頭を振り振り言った。頭痛がかなりひどいようだ。

「う〜ん。行くしかないでしょう」

相変わらず大岩先生はのんきに構えている。

ニ人は共に六十歳。高山病に悩まされながらも、強い精神力でこの旅を乗りきっている、タフな人達だった。

 それにしても、今日こそは、寺にたどり着けるのだろうか。ここに来るまで、テントの寺に関する情報はほとんどなかった。大岩先生が、唯一中国の文献に載っているというコピーを持っているだけだ。それも、たったニ〜三行ほどの。最寄りの町、アムドの老人達に聞いても、聞いたことはあるが、実際には見たことがないと言い、本当にたどり着けるか、皆、半信半疑だった。

 アムドから、高原に入ってからは、うっすらとした車の轍だけを頼りに、ここまできたのだ。

 車は、何度か川を渡りながら進む。浅いであろうと思われた川も、実際に車で進むと、結構深かった。増水していたらどうなっていただろうかと、渡りきる度にホッとする。

 二時間ほど走っただろうか。ふと、気がつくと、今まで遊牧民のテントがぽつんぽつんとあるだけだった高原の遥か向こうに、薄っすらと、集落のようなものが見えてきた。まるで、蜃気楼のようだ。

「あれがそうでしょうか。」

 ぬかるみにはまった車を押しながら、そうであって欲しいと聞く。しかし、誰にも確証はない。 

「多分、あそこでしょう」

 彼方の集落を見つめる、ウリの眼が細くなる。何本かの煙も上がっているようだ。車を走らせ、それが確かに集落だとわかると、思わず気持ちが逸る。

 しばらく行くと、だんだんその蜃気楼が現実になり、ついに、その集落にたどり着いた。

 

 私達の車が止まると、たくさんの僧侶達がどこからともなく集まってきた。一斉に、エンジ色の袈裟に囲まれてしまう。ここに間違いない。

 交渉の間、遠巻きに、こちらをチラチラと見ていた僧侶達は、男同士肩を組んで、なんだか恥ずかしそうだ。

 明後日、寺で大きな法要があるらしく、周辺には、多くの遊牧民達が集まってきていて、テントが張られている最中だった。ある者は馬に乗り、ある者は家畜を引き連れ、一家総出で移動してきていた。三〜四歳の子供までが、はりきって荷物運びを手伝っている。その姿が、なんとも微笑ましい。

 寺院は、箱型の小さなコンクリートの建物がひとつと、その後ろに、十五メートル四方くらいの、柱が八つあるテントの寺院がひとつ。その回りには、彼らが寝起きする、レンガで造られた部屋が点在している。

 この寺は、チベットでも最大の宗派、最も戒律の厳しいゲルク派であり、ここを訪れた日本人は、私達3人が初めてのようであった。

 交渉も成立し、寺の内部に案内してもらうことになった。

 テントの中に入ると、中は外の光が白布越しに射し込み、思っていた以上に明るい。中央には、彼らが毎朝、まだ冷えこむ時分から読経しているのであろう、身体に巻く毛布が、丸く人が抜け出た形そのままに並んでいた。そう言えば、彼らは、八月だというのに、フエルトと毛でできたブーツを履いている。この辺りの冬の厳しさが、容易に想像できた。

「ここで、お経読むのね?」

 ぞろぞろと、大勢の僧侶達を後ろに従えて、身振りで聞いてみる。ニ〜三人が黙って頷く。なんでも質問してくれ、と言わんばかりの顔だ。

 一番奥に三メートル四方ほどの祠があった。中は真っ暗だ。中央のバター灯、チューメが、かろうじてほのかな光を放ち、暗闇の中で揺れている。異次元に入りこんでしまったかのような空間だ。入ってすぐの所で四人が向かい合って座り、お経を唱えていた。私達に気がつくと、読経をやめ、にこやかに迎え入れてくれた。

 突然の訪問に恐縮しながら、私は帽子を脱ぎ、中へ入っていいかと眼で尋ねた。皆が黙って頷く。四人の脇をすり抜けて奥へ行くと、きらびやかな祭壇があった。その中央に小さな仏像が見える。 

「これが、この寺で一番大事なご本尊だそうです」

 後ろから、トンジュの声がした。 

 通訳がラサへ戻ってしまった今、私達の中で、チベット語が話せるのはトンジュだけだ。彼が通訳となって僧侶から話を聞く。そして、中国語で教えてくれていた。

 彼は、仏像の前に出ると、合わせた手を頭・口・胸と順に下ろしていき、一礼した。そして、ポケットから財布を出し、紙幣をご本尊の前に置いた。

 そう言えば、途中寄ってきた小さなお寺でも、彼は、常にお布施を置いていたような気がする。大岩先生が、彼らはこうやって運転手として仕事をしていても、稼いだ分を寺に寄る度にお布施してしまって、大丈夫なのかね、と言っていたのを思い出した。 

「お寺に寄る度に、そうやってお金を出していたら大変じゃない?」

 心配して聞くと、

「いいえ、そんなことはありません」

 彼は、はにかみながら答えた。

「私達チベット人は、祈りは日常です。私達にとって、生きる事は祈ることなのです。」

 微笑みながら続ける。

「それに、田舎の小さいお寺では、政府の援助なしで、お布施だけでやっているところもあると聞いています。」

「ふうん」

 彼の純粋な顔を見て、なんだか居たたまれなくなった。 

 私は、神社へ行っても、賽銭は入れない。ましてや柏手を打って頭を垂れるなどということはしない。3年ほど前から、一切そういうことをしなくなった。亡くなった家族の供養のため、墓参りには行くことはあっても、チベット人のように、輪廻転生などを信じている訳でもなければ、神も信じてはいない。祈る事で幸せがやって来るなんて、思えなかった。

 ふと気がつくと、四人の僧侶が、再び読経を始めていた。

 周りを見渡すと、壁全面が棚になっていて、すべてに小さな引出がついている。何が入っているのか聞いてみると、その中には、経本がびっしり詰まっているという。

「これ、全部読むの?」 

「もちろん、そうです」

「ひたすらずっと?毎日?」

トンジュは苦笑している。

 私達のやりとりを、まだ若い僧達が、笑みを浮かべながら見守っている。暗闇の中で、目だけがキラキラと輝いていた。

 まだ、十代か二十代前半であろうと思われる若い僧達は、皆いい表情をしていた。彼らは、小さい頃に出家し、親とも離れ、こんな過酷な自然環境の中で毎日修行し、生活している。そんな中でも、彼らは満足そうな顔をしていた。日々に満足している、そう思えた。祈りがそうさせているのか。信仰に生きる民族。改めて、そう感じさせられる。

 果たして今、この暗闇の中で、私の眼はそんな輝きを放っているのだろうか。

 私は、ご本尊の小さな仏像を、そして、僧侶達の顔をしばらく眺めていた。

 

 レンガでできた小さい建物に移動すると、そこは、お茶を飲み寛ぐ、居間のような部屋だった。

 そこで、バター茶をいただいた。ヤクのバターの香りがぷうんと立ち昇る。一口啜ると、濃厚な味が口の中に広がった。そのお茶は、今まで飲んだ、どのバター茶よりもしみじみとしておいしかった。

 お茶を飲みながら聞いた話によると、このテントの寺院も、以前は八〇本もの柱をもつ、大きなテントだったそうだ。僧侶も今では四十数人しかいないが、全盛の頃には二百人もいたらしい。 

 まだ、あどけない顔をした少年僧が、バター茶を、次ぎから次ぎへ注ぎ足してくれる。

「トジェチェ」

ありがとう。もう、お腹がいっぱいだと言うと、寂しそうな顔をする。皆素朴で、温かかった。その温かさに、思わず目頭が熱くなる。

 

 時間はあっという間に過ぎ、出発の時間になった。私は、車に自分のリュックを取りに行き、もう一度テントの中へ戻った。お経を読む四人以外は誰もいない。私は、財布から紙幣を取り出し、ご本尊の前に置いた。そして、手を合わせ祈った。ここの人達、皆の幸せを。そして、この豊な文化が、ずっと失われることのないよう。 

 きっと二度と訪れる事はないであろう寺、二度と会うことはないであろう人達に別れを告げ、その場を後にした。空は快晴。雲に手が届きそうに近い。

 車は青蔵公路に出て、さらに南下。神々しい輝きを放つ、七千百十五メートルの、ニンチェンタンラ峰を右に見ながら進む。

 途中、雪が積もる峠を、五体投地しながらゆく人に出会った。もう、何日も続けているのだろうか。顔は漆黒に焼け、衣服はボロボロに擦り切れていた。彼はラサまで行くのだろうか。ラサまではまだ、四百キロと少し。

 

・終わり・   


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――