Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

「アジアウィーブ」2002年8月号による

 

雪峰、秘境、厚い信仰

               ――魅了するチベット高原

烏里 烏沙 

 

 喉が渇いたらバター茶を一杯飲む、親しい友だちが集まる時にはチュン(チンコウ酒)を飲みながら楽しむ。気分にのって、大きな声を出す。「心は野性と草原のような広い愛、たとえ彼女に嫌われても、自由に飛翔していこう‥‥‥」これはチベットカム地方の男たちの語りである。

 故郷にいた頃のことを思い出すと、私の心は高原の上空に、白い雲の間を自由自在に飛び廻り、目を閉じて、美しく穏やかなカイラス山が私の前に高く高く聳え立っているように感じるのである‥‥‥

 映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』が日本で上演されてから、チベットは日本でも一層人気が高まってきた。「世界の屋根」といわれるチベット高原、面積はほぼ日本国土の6倍の広さをもち、環境の最も厳しいところ、そこに住んでいる人々はどんな生活を送っているのか、そして、劇化されたチベットと現実のチベットはどう違うのか。

 先日、基金会(後述)が主催して『雪域聖地――チベットへのまなざし』写真展を新宿のニコンサロンで開いた時も、ご来場の方々に「中国はチベットを侵略したのですか」、「チベットは中国の隣ですか」、「チベットへ行くにはまず中国に入るのですか」などよく聞かれた。今日まで、日本のメディアや学校では中国の少数民族について、特にチベットについて、間違ったことやひどい場合には全くうそを教えられている場合もある。私はチベット高原で生まれ育ち、その西部にあるチベット自治区にも長い間居た。私の知っているチベットは、日本で教えられている或いはチベット研究者の一部が口にしているチベット像とはかなり差がある。

 日本にも「百聞は一見にしかず」の諺があり、「どちらが正しいのか?」。一番いいのは自分の目で確かめることである、そう思ってまだ学生だった私は99年の夏休みに13人の日本の大学生を引き連れ、39日かけてチベットを横断した。東チベットから西チベットまで約4000キロあり、かなり苦しい旅だったが、現地体験ができて、みんなにとって、また私もいい勉強になった。

 私たち基金会の目的も、厳しい自然・社会的条件にあるチベット高原に小学校を建設、子どもの教育に協力するだけでなく、高原に暮らす人々の豊かで多彩な伝統文化や彼らの生活と経済の実情を正しく日本に紹介し、できるだけ多くの方々に現地の情況を理解してもらうところにあり、また教育に熱心、チベットの諸相に関心があって、賛同いただける方には、私たちのボランティア活動に仲間としてご参加、ご協力いただければありがたく幸いである。 

 

チベット高原、世界一高く広く人の少ないところ

 魅了するチベット高原は中国南西部にあり,チベット自治区と青海省の全域、甘粛・四川両省や新彊ウィグル自治区の一部と雲南省の西北の一部を含む、南はヒマラヤ山脈が西から東にかけてネパール、シッキム、ブータンを貫いて続き、アッサム(インド)、ミャンマー、西はカシミール、パキスタンと接する。面積は約230万平方キロメートルで中国総面積の約4分の1を占め、平均標高4500メートルである。人口は500万人、世界で最も人口密度の低いところ、世界では最大の面積と標高をもつ高原で、「世界の屋根」と呼ばれている。

 「万山の父」と呼ばれるチベット高原は,実際には高くて大きな多数の山脈からなる高山の「集まり」であって、地理学者はしばしば“山原”と呼んでいる。これらの大山脈は,すべて標高5000メートルから6000メートルあり、何れも全世界に注目された高く大きく聳え立っている山系であって、そのうち最も有名なのはやはり地球の最高点、標高8848メートルのチョモランマ峰である。

 そして、標高6714メートル、世界宗教の中心といわれるカイラス山は「氷山の母」とも呼ばれ。この山は仏教界では、世界の中心に聳え立つとされる須弥山と同一視されている。一方、ヒンドゥー教徒はこの山を彼らの至高神シヴァの王座として信仰しており、タントラ仏教徒はまたこの山をサムバラ(シヴァが仏陀の教化をうけた結果変容した姿)のすみかと見、ジャイナ教徒は始祖が悟りを得た地と見ており、ポン教徒は彼らの始祖シェンラプが天から地に降りたった場所として信仰している。このために、カイラスは数世紀にわたって各宗教にとって最高の聖地となり、巡礼・隠者・苦行者が訪れ、山の回りをまわって礼拝する。

 チベット高原はまた「河川の母」と呼ばれ、東南アジア・南アジア・中央アジアの多くの大河川の分水嶺・水源地である。長江・黄河・瀾滄江(下流はメコン川)・怒江(下流はサルウィン川)・雅魯蔵布江(下流はブラマプトラ川)・恒河(下流はガンジス川)・インダス川・塔里木河などはチベット高原を中心に放射状に流れ,水源はチベット高原を囲む雄大な諸山脈に発し,水資源としてきわめて豊富である。

 チベット高原の地図を開いて見ると、ここは湖の数が最も多い地域である。一番大きい湖は青海湖、最も高い湖はナムツォで水面標高は4650メートルあり、地元の人々から天湖と呼ばれている。カイラスの麓にある聖湖と称されているマナサロワール湖は標高4558メートルで、仏典に須弥山の麓にある説かれる無熱池と同一視されている。無熱池は四大河ガンガー・シータ・オクサス・インダスの河源とされ、地理学的にマナサロワール湖は確かにこの4大河の上流に位置している。

 最大の高度差6000メートル以上、平均高度差5000メートル以上の「ヤルンズアンボ川大峡谷」はアメリカ地理学会と英国の《ジニス記録》が1994年に「世界一の大峡谷」だと認定した、それまで世を挙げて名が聞こえていたペルーのコルカやアメリカのコロ−ラド、ネパールのカンダツク峡谷などはとみに小さいものとなり、この大峡谷と高下を争う方法を失った。

 

チベット高原、人類最後の楽園 

 「香巴拉並不遥遠、那就是我們我們的家郷‥‥(シャンバラは遠くにあらず、そこがわたしたちの故郷である‥‥‥)」

 これはチベット族の歌手、ジャムヤァンジェの歌である。「シャンバラ」はチベット語で理想郷の意味で、チベット族なら、誰もが知っている。チベット地域に入ると、「シャンバラ」についての伝説もよく耳にする。シャンバラに入る入り口は、西チベットの首府であるシガツェである。伝説によると、昔理塘県から少年ラマが扎什倫布寺の長老からシャンバラに入る「路引」(案内)をもらって、夢にも求めていたシャンバラに入ったとある。

 その一方でチベットの史籍『新紅史』によれば、この地は「インド王統、シャンバラ王統、吐蕃王統、漢地歴朝帝王伝承、モンゴル王統、西夏王統及び宋元明時期西蔵地方割据勢力」7つの王朝から成り、そのうちの6つは歴史に実在したが、「シャンバラド王統」だけは空想したものか判定はできないとされ、一部の研究者たちはこの王統も歴史に存在したと考えている。そして英語「shangrila」(シャングリラ)という言葉は、「シャンバラ」からきている可能性が十分ある。シャングリラとは、1933年に出版されたジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』の舞台となった伝説の雪に覆われた山の中の楽園である。この小説は映画化され、しかもアカデミー賞まで受賞した。実はヒルトンはチベットに行っていない。彼が小説を書くにあたって参考にした資料の1つが、アメリカの国籍を持つオーストリアの植物学者ヨーセフ・ラック博士の書いた記事だった。

 ヨーセフ・ラック博士は彼女を発見してから、「シヤングリラ」(shangri1a)という地名は、「俗世間外の桃園境」という意味で英語辞典に入って、その名声が全世界に聞こえている。この夢のような神仙の住む所がヨーロッパとアメリカの人々に引き起こした大自然に回帰したい熱烈な渇望は、いつまでもやむことがない。数年前から毎年ここへ魂の庭園を探しに来る各国の観光客は絶えず、身体と霊魂にこの「俗世間外の桃園境」で一種の凡俗を超越する沐浴を、心ゆくまで体験させるのである。

 ここ数年カム地方一帯では、シャングリラの「発見」が相次いでいる。まず雲南省西北部の中甸県がシャングリラといわれ、いまは名前まで変わってシャングリラ県になっている。続いて数年前から開放された稲城は最後のシャングリラと名付けられ、こここそ本物と主張した。そして、最近では理塘に最も綺麗なところ、最後最後のシャングリラを見つけたという噂もある。だちらにせよもし本当のシャングリラが存在するならば、その場所はカム地方にあるだろう。

 というのはカム地方は、世界で最後に残された優麗な花の宝庫である、春になると、まずシャクナゲ類が咲き,続いてサクラソウ類とケシ類の花が開く、特に7月のカム地方は至る所に数多くの奇花異草の花園が出現し、夢のような光景が広がっていく。

 

チベット高原、現代教育が最も遅れているところ

 「チベットには学校がない、子どもたちが勉強したい時にはお寺に行くしかないです」とは、私が大学時代つまり本の3〜4年に、チベット文化を担当するインドから来たチベット族の教師が授業で語ったことがある。50年前のチベットはそうだったが、とその教師がそういうふうに教える理由が理解できなかった。今もそういう所があることを否定しないが、全体的には、この40年の間に中央政府はチベット自治区の教育にかなり力をいれ、幼児教育、小学校、中学校、専門技術教育、高等教育、電化教育などにわたり、チベット民族の特色をとり入れる教育体系を作り上げた。今では少なくとも自治区では、大学は4ケ所(チベット大学、チベット民族大学、チベット農牧大学、チベット蔵医大学)、大学生総数3万人以上、専門学校は18ケ所、高等学校は70余ケ所、小学校は3400余ケ所、幼児園は40余ケ所を数え、在学生は合わせて27万人に及ぶ。チベット族の学生たちは小学校から大学まで学費はすべて免除される。

 以前はチベットには学校がなく、人口の96〜97%が文盲だった。しかし現在では、各県・郷にも学校が 設立され、1985年からは一部の農牧区の学生に対し、3包教育つまり、食事、衣類、住居の費用を全部免除する。現在、小学校就学入学率は67%にまで上がったのである。

 自治区以外のチベット族が住む地域は、まだ厳しい。一部の地域は以前とほとんど変わらず、かなり悲惨な状態におかれているのも現実である。それについての報道はほとんどないので、実況をわかっている人は少ない。

 今回私たち基金会が小学校建設予定しているカム地方理塘県曲登郷をはじめ、このあたりは成人で読み書きの出来る人はほとんどいないのである。町に住むチベット族は田舎よりましで読み書きが少しできるが、その一部は中国語しか読み書きが出来ない。

 

高原の民を支えてきた厚い信仰

 チベット仏教には数多くの宗教流派がある。7世紀にチベットに伝わった仏教は、長い曲折を経てラマ教となり、政治と合一して、1950年代までチベットほぼ全域を治めてきた。1000余年にわたり数多くの寺院が建てられ、いまでも仏教は大多数のチベット族に信仰され、精神の糧となっている。その中の主な四つの宗派、すなわちニンマ、サキャ、カギュー、カダムを四大宗教流派と呼んでいる。

  チベット自治区の首都ラサをはじめ、村落、高山、湖畔、さらにチョモランマ峰の麓に、金色に輝く寺院が多く点在している。寺院は釈迦牟尼像などを祀り、僧侶や信徒が生命哲学と成仏の道を求める場所となっている。土地が広大で人の少ないこの高原で、人が最も多く集まり交流が行なわれるのは寺院とその周辺であり、商業や文化もここから始まる。ラサを訪れた人たちがまず目にするのはポタラ宮であるように、チベットのどこでも最も目につくのは寺院であり、その地方その町のシンボルとなっている。寺院はチベットの建築、絵画、彫刻、音楽を一体化した芸術の宝庫であり、チベットの民間に代々伝わる芸術品、珍宝を蔵し、民族の知恵を凝集している。

 ラマ教がなぜチベットで広い影響力をもっているのかは今でも探求されているが、その一つの特色ははっきりしている。一方では僧職者が宗教哲学を一生かけて研究しつづけ、他方では信仰者が生涯マニ車をまわし、経文を唱え、地に伏し、五体投地をくりかえし、祈りつづける‥‥‥これらがチベット宗教の奇観をなし、訪れる人たちはその仏教の形式の威力に驚きを感じる。長年来、ふつうの人びとの生活と心に深くとけ込んだ信仰心として、その善良さ、慈悲深さ、親しさ、そして寛容さがチベット民族の性格の一部をなしている。

 

チベット高原にわが小学校を

 私たち基金会が小学校を建設する予定地は理塘県の曲登郷で、そこに住んでいるチベット族の遊牧部落はチベット地域(地球上ともいわれ)で最後に残っている唯一の遊牧部落である。

 理塘は四川省の西部、甘孜チベット族自治州の西南部に位置し、州都である康定からは290キロ、標高は4133メートル、面積は14182平方キロ、人口は5万人でそのうちチベット族は94%を占めている。理塘は、悠久な歴史をもち、土地にも霊気がある所である。ダライ・ラマ7世と10世をはじめ、大勢の活仏や高僧などがここで生まれた。

 曲登郷は理塘県の西北部に位置し、西に巴塘県、北は白玉県、東北は新龍と接して、県城までは100余キロある。曲登郷は理塘県の中で環境は最も厳しい所で、ここの最低標高は4300メートル。小学校を建てる予定地を視察するため、私は去年に2度この夢のような神秘的な土地を訪ねた。

 初めてここを訪ねた時には、ちょっとびっくりした。標高4300メートルゆえ酸素は内地(普通の平原)の40%しかない。厳しいと思ったが、村の至る所に、花畑になっている草原がおり、まわりは緑の山で空気が澄んでいて、チベット高原以外では見られない青空が広がり、村のすぐそばには小川がゆるやかに流れている。私たちは目の前の景色に魅了されてしまい、もう大満足、これ以上の素晴らしいところはもうないじゃないかと思った。ここはいまだに小学校がないけれど、立派なお寺はある。やはり、伝統的、保守的な考え方はまだ人びとの心に根強く残っているのも事実である。

 住民たちからどうしても小学校を作ってほしい要望が強く出ている。学校ができたら、私たちは、現代的、科学的、合理的な教育カリキュラムを作って、この秘境の純朴な人びとと調和する教育を工夫していきたいと思っている。私たちの目的は、自分の文化を大切にしながら、つまりチベットらしいチベットを守る使命をもちながら、世界のどこへ行っても通用する現代のチベット人を養成していく所にあるからである。


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――