Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

彝 族 の 姓 名

八巻佳子

 【「姓」のない父系血縁集団の奴隷制社会】

 彝族は四川、雲南、貴州、広西四省に住み、独自の言語と文字をもち、原始宗教を保持する。人民共和国成立後もなお奴隷制社会を続けた四川大涼山の彝族は、長期にわたり漢族や中央政府の統治を拒否してきた。彝族社会では父系血縁集団を示す家支制度(家・支派・家庭)を固持してきた。ここは内部不婚の社会集団で、共同の血縁男子祖先を継承する父子連名制をつづけ、山背、山谷、河川、道路で区切られた共有地内で生活した。もしこの境界を越えれば激しい闘いが起こった。

 家支集団内部では、奴隷主支配階級の黒彝が統治し、その下に白彝と呼ばれる農民(曲諾)、別居奴隷(安家)、家内奴隷(岬西)が所属する大集団があった。例えば黒彝阿侯家は1700戸の黒彝家庭を擁し、その下に農民、奴隷1万3000家(ただし家内奴隷は生涯独身である)が属し、全人口7万人余りを支配した。

 このような家支の世系は家譜や彝文古籍類に記されているが、彝文字はピーモという占いや祭祀を司る者だけが読めたので、その他の人は世系を暗誦していた。

 古代の彝族は第一代の祖先の名の前にトーテムをおいた。虎、鷹、竹、山、河、蜂等々動植物や自然から崇拝するものをおき、その次に名前をおいた。姓はなく名は一または二音節であった。黒阿土→阿土普勒→普勒普綽→普綽麻丘‥‥‥と継続され、最初の黒がトーテムで河の意味である。

 

【家支系、命名の書例】

 大涼山の阿侯家は七支系をもち、23代を数えるが、支を分けず血縁関係にあるとされて内部通婚は禁止されている。丁文江編の『爨文叢刻』では84代が記録され、また日中戦争時期の調査でも数十代に及ぶ家支の系譜を口頭で暗誦できる人が普通だったという。(羅辛田「再論藏緬族的父子連名制」『辺政公論』3巻9期、1943年)

 家支名を継ぐのは長男に限られる。阿侯家では阿侯(家名)・布吉(支名)・吉哈(文名)・魯木子(本人)が正式の命名である。

 命名については占い師のピーモに頼むことがある。出生日後の5、7、9日や吉日や崇拝するトーテムを用いたり、母親の胎内にいた時の方位が名となる.兄弟姉妹の排列順に命名される場合は、男子だと阿木、木乃、木古、木ガ……となり、女子は阿依、阿岬、阿芝、阿各……と付ける。沙馬家の長男は沙馬阿木子、吉吉家の二女は吉吉阿岬摸となる。子は男子、摸は女子を示す。

 

 

 

【主名と次名、漢式名と民族名】

 また涼山彝族は各人皆二つの名、主名と次名をもつ。金曲家のある男子は勒什が主で次が爾戈となり、主名は外の人には知られず、次名だけで呼び合う習慣がある。これは、家支名が一般庶民には意識されなくなったこととも関係がある。しかし、1942年の西南連合大学の調査記録では、彝族は山道で出会うと、挨拶としてお互いの家支世譜を延々と披露しあっていたという(曽昭倫著・八巻佳子訳『中国大涼山イ族区横断記』築地書館、1982年)。

 現在、中国では漢語が共通の標準語として使われているため、少数民族のなかには民族名と漢式姓名の二つをもつ人が多い。筆者が北京中央民族学院で会ったチベット族幹部はチベット名を漢字で略称して「阿華」です、といったが、これでは分からず、さらに聞き質すと、民族名を教えてくれた。また雲南民族学院を訪問した時も、最初「李××」と名のった教授に、その容貌や体格からみて黒彝ではないかと推察して、「あなたは黒彝で、旧貴族でしょう?」と尋ねたところ、たいへん喜んで彝族名を教えてくれた。やはり黒彝の誇りは生きていたのである。

(やまきよしこ/中国研究者)・『第三世界の姓名』(明石書店1994)


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――