Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

チベット(蔵)族の姓名

八巻佳子

【貴族階級のみが持つ「姓」】

 チベット社会は1951年の平和解放時まで封建制農奴社会が続き、その後1959年のダライラマのインド亡命を経て、ようやく民主革命が着手された。この長期にわたる封建社会にあって、三大領主と呼ばれる貴族階級の支配が続いた。それは、旧チベット地方政府、世襲活仏、荘園領主の三大領主で、これを構成する政府官僚、大活仏・高僧、僧官、世俗貴族は皆、姓名をもっていた。したがって姓名のうち、姓を観察するには解放前までの貴族階級について簡単に紹介しておかなくてはならない。

 貴族階級を等級別にすると、第一等がダライ5世を出した家、チベット文字を創作したトンミサンプダを出した家、など四家である。第二等はダライ7世から14世を出した各家、第三等は政府大臣を出した家で、以上17家が大貴族とされ、第四等は大貴族家庭の分家などの小貴族が入っていた。1940年には大貴族が175家、1959年時には大小貴族合わせて約400家があった。これには荘園領主、寺院、大小活仏、千戸、百戸、土官、富商、頭人、大戸、大テーバ(納税)、富裕農奴が含まれていた。しかし荘園制廃止後も190家余りが残り、しかも民主改革後、新しく貴族を申請した者もいた。旧支配階級家庭出身の者は現在も姓名を保持している。貴族階級とされた者は、1951年時チベット自治区全人口の約一割で、残りの大多数のチベット人は庶民であり、姓はもたず、名だけを名のっている。

 チベット族の名前の特徴は四音節が大部分で、三音節の名も少しある。男女別は余り見られないが、少々ある。

 

【姓名の系譜】

 ●父子・母子連名制

 古代にあっては形式は父子連名制、母子連名制がとられた。チベットで初めて記録の中に名が現われたのは紀元前一、二世紀である。ヒマラヤ山麓のロカ地方に天から降った人が、この地方の遊牧民を統治した。その人がニャティツェンボ(首に座した王)と称した。彼以後、七代の王が父子連名と母子連名の並存した形をとっていた。便宜上漢字で表すと、

聶赤賛普(父)――――木赤賛普――――丁赤賛普――――索赤賛普

納木木(母) ――――薩丁丁―――― 索塔塔

となる。これは、赤(座)、賛普(王)を共有する父子連名で、同時に母の名の一音節を頭につけて母子連名を現わしている。これは当時の社会が父権制氏族社会に入りつつもなお、母権社会の痕跡を残していたことを示している。

 その後、母子連名は消失した。吐蕃王朝に入ると各王の世系は、

 ソンヅェンカンポ マンソンマンツェン トウソンマンポジェ 

 松賛干布 −   芒松芒賛  −   都松芒波結

というように先代の一音節を引き継いだ形をとっている。

 

 ●貴族階級の形成と姓名、家名

 封建農奴社会に入ると、大荘園領主が政府高官に任ぜられるかまたは政府高官が大荘園を下賜され貴族階級が形成される。チベットでは元朝時代以来、チベット仏教の保護政策がとられ、明代十五世紀にダライラマが政権を掌握し、転生活仏制度が採用された結果、ダライラマを出した家は世襲大貴族となった。例えば、ダライラマ七世を出した家は、サムドゥプ・ポタン(大願成就宮殿)の姓を賜り、その家はヤブシー(ダライ、パンチェンを出した父方の家の荘園)と呼ばれ、簡略にヤプシー・サムポ家と称された。1951年チベット解放後のチベット軍区副司令だったサムドゥプ・ポタン・ツェワン・リシジン(珍宝・宙乗修持者)はその子孫である。その他ラル家、ジャンロシェン家、プンカン家等々があり、子孫は現在も健在である。チベット各地方の荘園領主家庭の姓は、当地の地名を名のることが多い。例えば現中国政治協商会議常務委員ガブー・ガワン・ジミー氏は、旧カプー荘園貴族で、ガワン・ジミー(文殊・不畏)が名である。地名が姓となっている貴族は、ツォゴ家(ティンリ県荘園)、クンサンヅェ家(青海省のクンサン山)等々多くある。

 前に述べた貴族の第四等に入る分家の姓の場合は、本家の姓の後にスル(分立)をつける。スルカン・ワンチェンゲレ(分家・強権・円満)、あるいはスルハ(分家人)を姓とすることもある。1905年のシムラ会議にチベット政府代表として出席したシェータ・ペンジョー・ドジェ(説法の声・福徳・金剛)の分家はシェー・スルが姓となる。

 分家ではなく家督相続人であることを示す場合、姓の後にセーをつけている。もちろん男性に限られる。例えばサムポ・セーといえばサムポ家の跡取り息子で、サムポ・テンジン・ドントプ(祈願成就宮殿・仏教守護者・万事成就)のことである。彼は1980年末、インドに亡命した。また兄弟が独立して家をもった時に区別して家名を称することがある。サムリン家(思考)の兄の家はサムリン・ゲンバ、弟の家はサムリン・シュンバとなる。

 婿入りする場合は、相手方の家名を名のる。ガブー・ガワン・ジミー氏はホルカン(モンゴル系家庭)の子息だったが、ガプー家に婿入りして姓が変わったのである。またラル・ツェワン・ドジェ(竜神家・権勢・金剛)とルンシャル・オゲン・ナムゲー(東谷家・飛行・勝利)は実の兄弟だが、兄がラル家に婿入りして姓が変わったのである。嫁入りの場合は日本と同様、婚家先の姓を名のる。当然ながら姓をもつ貴族家庭出身の女性に限られる。先のカプー氏夫人はユトー・ツェンデン・ドゥカルが結婚前の姓名(トルコ石の頭頂家・長寿・白仏母)だった。前出サンポ・ツェワン・リンジンの娘サンポ・クンチョー・ヘマはタンメー家に嫁入りし、タンメー・クンチョー・ペマ(草原下・至宝・蓮花)となった。

 貴族階級の姓名を知ることはチベット史やチベット社会の貴族ネットワークを知る重要な手掛かりとなる。例えば筆者の知人のチベット自治区政治協商会議常務委員タリン・ジミー・オンチュー氏はギャンツェの貴族タリン家(長い珠子家、旧シッキム王国貴族世系)で、ジミー・オンチューは「不畏・権勢」であるが、このタリン家に嫁いだのがタリン・リンチェン・ドゥマ女史で、著書『チベットの娘』(三浦順子訳、中公文庫、1991年)には家系が詳しく紹介されている。この書は女史が英文で書いたので英語風に家名が後におかれているが、本来は姓は名の前におかれる。またタリン家の娘は、前記サムポ家のサムボ・セーと結婚しており、両家は姻戚関係にある。両者はインド亡命中である。

 

 ●土司と大商人

 地方の実力者である土司は、元、明時代に中央王朝が地方を治めるため“夷をもって夷を制する”政策として少数民族の首領を世襲の官職に任じて統括させたが、弊害もあった。テゲ・ジャムヤン・ペモのテゲは、四川省甘孜チベット族自治州の一都市で旧時テゲ土司の家柄である。また、四川省カム地方の三九族地区を統括した千戸長ホル王の家長で、ホルギャセー・ソナム・ゲンツェンはその家名が示すようにモンゴル系漢王曹子で遊牧民地帯の混在状況を反映している。また、百戸長の家ナク・ルプン家は、ナク地区の士官の意味で姓となっている。その他ベリプン(ペリ土司)、タウプン(タウ土司)がある。前記テゲ土司は自らデケーゲーボ(テゲ王)を名のっていた。これらは人民共和国成

立後消失したが、地名は家名として残っている。中央政府の摂政、大臣も家名に官職を名のった。

 大商人家庭も姓をもっていた。その場合、王や政府からの賜姓ではなく、金を出して政府貴族四品官となった。有名なポンタザン(ホンダ家)はインド、ネパールとの国境貿易で巨利を得た。また四川リタン省理塘出身の大商人で五品官のアンドウザン・コンボ・タシも1950年代、中国人民解放軍とのゲリラ戦を指揮し、のちインドに亡命した。著書に『四つの河、六つの山脈』(棚瀬慈郎訳、山手書房新社、1993年)がある。

 その他、一家で二つの姓をもつ場合もある。貴族ケメー家はクンサンヅェともいい、チャングーバ家はポシュープンカンともいう。前者は荘園名、後者は館名である。1951年の解放後、新しく貴族を申請して官職を得た人の中の政府僧官チャンバ・ガワンは、新貴族名をニャスルとし、名も変えてニャスル・プンツォ・オンチューとなった。1951年にダライ夏の宮殿ノルブリンカの修復作業の功績で五品官となった銅職人ヅァムラ・タシは、家名デキーカンサル(吉祥新家屋)を賜った。

 

【僧識者の姓名】

 僧職者の姓名については、世俗貴族の場合とは異なる。寺の高僧や活仏は、元・明・清朝期をつうじ、皇帝から姓を封ぜられたり、各地方の寺の高僧から封号や尊称を授けられ、これを姓として名前の上においた。その中の最高の称号は、元時代、皇帝から冊封されたモンゴル語のダライラマ(大海上人)、および清朝皇帝から冊封されたパンチェンラマである。パンはヒンディ語のパンディタ(大学者)、チエンはチベット語の大、エルデニはモンゴル語の宝である。ダライラマ制度は政府権力を仏教のゲルク派が掌握し、政教合一制度を確立したことによって、世系を維持するため転生(生まれ変わり)制をとり入れた。そこで再び共学連名制が復活した。すなわち、ダライラマ1世はゲントン・トプ、2世はゲントンギャツォ、3世ソナムギャツォ、4世ユンデンギャツォ、以下14世までギャツォを共有している。これは父子連名制が宗教権力の世系に採用された例である。

 ただし、転生活仏(生き仏)として探し出されるまでは一般家庭の幼い男子だったから、父母から貰った名前がある。ダライ14世の幼名はラモドントプ(仏母諸事完成)で、十四世に認定されたのちは法名を名のる。少々長いが、ジェツン・ジャムペー・ガワン・ロザン・イシ・テンツィン・ギャツォ・シースム・ワンギュー・ヅンバ・メーぺー・デチェンボ。略してテンツィン・ギャツォとなる。意味は「尊師文殊菩薩善心知恵仏教大師大海三世界統治不同等大集団」、略して「仏教大師大海」である。高位の活仏名は長いのである。

 僧は、各寺院の名を姓とする。1947年暗殺されたラテン摂政活仏(政府摂政役で生き仏)は、ラテン寺を姓とする。ラテン・トプテン・ジャムペー・イシ・テンベー・ゲンツェンが姓名である。ここにも転生制が採用され、トプテン以下は第5世ラテン活仏の名を継承している。その他の寺院にも大活仏、小活仏がいて寺名を継承している。セラ・ケンポ・ガワン・ギャツォは、「セラ寺和尚文殊大海」である。

 

【よく使われる「名」の種類】

 一般庶民は「姓」がなく、「名」だけである。全人口の90パーセントがそれに該当した。名の種類は543種ともいわれるが、その中のよく使われる名を次に挙げたい。どの民族も同じだが、1.長寿、健康、幸運、賞賛、2.仏教称讃、3.権勢、4.曜日、5.自然、などをテーマとするものがほとんどである。

 1は、タシ(吉祥)、ツェリン(長寿)、ペンジョー(裕福)、ノルブ(財貨)、デキー(幸福)、ジミー(畏れなし)、ツンドゥ(努力)、ドントプ(成就)、サムドゥプ(祈願成就)、リンチェン(大宝)、ロサン(善心)、等々。

 2.はテンジン(仏教守護)、チュンペー(仏教発展)、トンドゥ(悪鬼調伏)、ドジェ(金剛、ダイヤモンド)、ジャムヤン(文殊菩薩)、ゲンツェン(幡)、シャキャ(釈迦)、ハモ(女神)、ドゥマ(仏母)、ガワン(文殊)、チメー(不死)、ソナム(福徳)。

 3.ゲーボ(王)、ゲーモ(女王)、ワンゲー(権勢)、ナチェン(大臣)。

 4.出生日時の曜日として、ニマ(日)、ダワ(月)、ミマ(人)、ハパ(水)、プブ(木)、ハサン(金)、ペンバ(土)、ツェゲー(チベット暦八日)、ジューガ(同十五日)、等。

 5.ニマ(太陽)、ダワ(月)、ナムガー(空)、カマ(星)、ギャツォ(大海、大湖)、センゲ(獅子)、メトゥ(花)、等。

 以上の単語を二つ組み合わせて四音節としたり、一単語二音節のみの場合もある。僧侶は簡潔を好しとする考えから二音節をとる場合がある。カム、アムドゥ地方では三音節がよく見られる。男女別はほとんどなく、‥‥‥ポ、‥‥‥モでの区別も若干見られるが、必ずしも厳密な区別はない。

(やまきよしこ/中国研究者)・『第三世界の姓名』(明石書店1994)


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――――チベットカム山岳研究会・最終更新日:2009年10月15日――――