Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

チベット体験記――参加者レポートその12

 

「猫とおじさんと少女と赤い空」

伊東玲育

  「中国の年越しはまるで戦場のようだった」

 空は空で冷たい空だった。そして、あの時、見た空より今は驚くほど空虚な感じがする。半年前に僕はチベットの真冬の空にいた。数ヶ月を経た今になって、その時見たチベットの空についてやっと話せる気がする。

 1月23日の大晦日(中国の旧歴)、僕はチベットに向かう途中、その入り口となる一歩手前、四川省濾定にいた。町はやけに静まり、人々は家族とともに家の中でごちそうを食べていた。僕は友人の家を訪れその家族の輪の中にいれてもらい初めての中国の年越しと正月を味わった。3日ほどだが、あまりにも長い時間だった気がする。

 夜も深まり特別の午前0時が近づくと家族達は前の日に買っておいた大量の花火をおもむろに持ち出し、外の路地へでた。もちろん僕もその後に続いてその時を待った。遠くで鐘の音が響く。やがてその瞬間がくると、夜空に向かって町中の人達が花火を打ち上げた。大人は爆竹(長さ約5?.太さ約1.5?)を、少年の手にはロケット花火(50連発)、少女の手には可愛いらしく回る花火(ネズミ花火のデカイ版)。町中が火薬の匂いと爆音で溢れたのだ。日本の花火大会しか知らない僕にはこれはもうまるで戦場のようだった。こんなにも心に響く音はかつてなかった。僕の中で何かが吹き飛ばされた感じがした。躰の真ん中に風穴が空いたように空しかった、四川語を全く話せない僕は言葉を呑み込むしかなく訳もなく淋しかった。自分の中の弱さに突き当たったからなのだろうか?今まであまりにも、平坦な環境にいたのだと感じたからか?

だが、夜空に飛び交う火花が嬉しかったことには間違いない。

 僕は新鮮な気持ちで花火に見入っていた。花火を見ていると、どんな淋しさもいやされる。そんな気がしてきた。空に舞う火花が星のように見え、一点しか見えなくなってきた。人はいつからこんな星をつくることが出来たのだろうか。町中の人達がいっせいに夜空を見上げている。今年もよい年になりますようにと願いを込めて打ち上げている。明るい夜の下、人々の顔があたかも星に照らされて輝いている。僕はその顔の一つ一つに嫉妬した。

 空に星があるのは夢を見るためなのかもしれない。本当は花火では夢は見れない、すぐに消えてしまうから。何も飛び交うことの無い空の下で星だけをみながら夢をみたいな。

 

「夢を詰め込むか、火薬を詰め込むか」

 そしてその翌日、僕はチベットに向かった。相変わらず空気が薄い所だ。一昨日の花火がまだ夢のような幻を見ている感じで残っている。それにしても冬のチベットは空が本当にキレイだ。吸い込まれるような青空だ。乾燥した地面がまぶしく、真っ直ぐ射す太陽が目にしみる。高山病の僕の頭の中では理解できないものばかりだったが、良くも悪くもそれが僕にとって幸せな時間であった。何もせずにただ歩いている自分が、たまに苦しくなる時があるけれど、歩ける自分に幸せを感じる時もあった。誰とも会話が出来ないのだから、せめて歩いていたい。そう思うしかなかった。そこに止まっていれば自分がダメになる歩けるなら歩いていたい。あの山の上に行けば何かある、夜中にふと淋しくなり歩き出すこともあった。あの月を眺めながらここにいてはダメだと何度となく思った。そして、一昨日の花火すらも疑い始めた。あの日、僕の心をいとも簡単に吹き飛ばしたあの花火は何だったのだろう。人はこの世の終わりが近づいても花火を上げるのだろうかと。花火など上げて何になるんだと。生きている実感がそんなにしたいのか。空に向かって人は何を想像するのだろう。空に向かうしか無いのか?終わってしまう花火に人は群をなし、線香花火ではモノ足らず火薬を詰め込む。そんなに花火が愛しいのか。そして、愛しいものなど無い自分が逃げ場を探してした。空を見ているだけで嬉しいなどと、心の内で思う自分のくだらなさ。花火のようにすぐたち消えてしまうはかなさの美など手にしたくないなんて思う。

 夕方、僕は町の外れにある温泉まで行った。車で約1時間ほどだ。日が暮れると同時に遊牧していた人達がぞくぞくと町へと帰ってくる。今まで見ていた青空がだんだんと赤く染まっていっていた。しばらくして一つの家が見えてきた。その家の隣に温泉がある。何ともいえず、木で囲っただけの温泉だ。僕は温泉に来たのだが、高山病がひどくなってしまったため、温泉には入らず散歩する事に決めた。そして、僕は一つの洞窟を見つけた。その中では猫を抱いたおじさんが座っていた。僕は、遠くからじっと見ていた。すると紺色のチベットの衣装をまとった少女が僕の近くに寄ってきた。そして彼女は僕をじっと見ていた。少女の瞳は黒く、そして、チベットの強い日差しに焼かれた真っ赤な頬を覆い隠しながら、その黒い瞳で彼女は微笑んでいた。永遠に離れることのできない視線だった。小さなピンクの髪飾りをつけ楽しそうに踊り、僕を笑かした。僕もまた、久しぶりに心が踊った。チベットの冬の夕方はキレイだ。いつのまにかおじさんが抱いていた猫は居なくなり、少し上がった丘の上で赤く染まった空とたわむれながら僕らを見ていた。猫とおじさんと少女がまだ見たことのない赤い空へと変わっていった。明るい月が空に昇り始めたころ僕は町へ戻った。

 

「絶対、飛行機の飛ばない空」

 次の日、僕はいつも立ち寄っている寺へ向かった。ここへ来てまだ2日目、だが相変わらず高山病は治らず頭が痛い。でも、僕はどうしても歩きたいらしく寺へ向かった。

 すると、遠くの方から人が歩いてくるのが目に映った。真っ直ぐにこの傾斜を登る姿が美しく見えた。白く光った道の上を祈りを込めながら歩いていた。空と大地に祈りを捧げながら、自分の未来に祈りを捧げていた。そして冷えきった青空はいつも彼らに未来を探してくれていた。僕は、苦し紛れにチベットの青すぎたこの空に何があるというのだと問うた。何もないではないか?空でもなければ海でもない。青すぎる空は僕の想像をかき消して行く感じがした。何ひとつない空のしたであなた達は生きている。いや、もしかしたら何も無いから祈れるのかもしれない。空に何かあると言うことは嘘なのかもしれない。ここは、絶対飛行機は飛ばない。何故か、僕は、素晴らしいと思った。

 空に人が舞えば米粒にも満たないほど、人なんてちっぽけなものだ。チベットでは人が小さく見える。それは別にこのチベットの大地が特別大きい訳ではない。ここにいる人達がこの大地より小さいだけだ。僕らはあまりにもずうずうしく歩きすぎている。僕らは、ビルも家もマンションも全て等身大でものを考えている。しかし、それも崩されてしまったが。本当は人なんて最も小さいのだ。人が生きれる所など小さなものだ。

 

「空白は自由よりも贅沢な祈り」

 そして、いろんなものが飛んでいる空に向かって、すばらしい世界が待っているんだと思い込んでいる僕らが無惨であった。バカバカしい箱に入ってしまったすりきれた僕らには、決して分かることが出来ないのかも。今、廃棄ガスに染められた空の中で手を振り、助けを求めているのは僕だ。

 チベットでの2週間、空白の時を過ごした感じがした。何もない時間を持つと言う事は非常に難しい。またそれは最高の贅沢でもある。しかし、それは半年も前の事になる。現実はとんでもないスピードで動いていた。何もかもがゆっくり動いているわけではない。未来に執着しながら寛大な祈りをしているチベットではこのスピードは分からないであろう。けど、贅沢はいいものだ。僕達の贅沢はそのスピードと一緒に過ぎ去ってしまっている気がする。そう思ったのは、チベットの真冬の空が冷たく心に染みた時のことだった。

 


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――――BBC世界の屋根探険会 烏里 烏沙 制作・2003年3月8日――――