Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

教室内装工事の確認と次回の援助する地域の調査の旅(1)

遥かなるゲーサンメド小学校その現状と将来
理事長 鳥里 烏沙

 

 ゲーサンメド小学校の教室内装工事の確認を含め、来年の援助する地域の調査も兼ねて、八月二七日に、建築家斎藤祐子先生、写真家北田英治さんと私、別々行動で、チベットに向かって出発した。

 今回の行き先は惡路が多いため、旅行会社の友人に日本製四輪駆動車を頼んだ。

 成都に到着後、川藏公路雅江段は、土砂崩れが何ケ所あり、一〇キロも続けている。それは八月二二日に崩れ、完全に開通するには十日間もかかると聞いて、私たちの日程は八月二七日〜九月九日の間で、十日間もかかれば、日程はまず無理である。川藏北路を使い、道孚、甘孜、新龍を通って、理塘へ行くことにした。

 二八日朝、ちょっと遅れたが、予定通り出発、現場監督を担当する鈴木さんは成都までおりて、ゲーサンメド小学校の学生に使う日常用品をいっぱい購入したので、かれの泊まっているところに寄って、荷物を車に入れる分だけ入れて、丹巴に向かう。

 雅江のあたりが通れるかどうかまだ不明だし、斎藤先生が出発する前夜は徹夜で、疲れが残っているので。みんなと相談して、丹巴で二泊にした。

 丹巴にいる時、道の状況を確認しながら、二九日の朝、はやく甘孜に向かって出発。

 途中のチベット族民家の建築様式が変わってゆくのを眺めながら、道孚、炉霍を通り、明るいうちに甘孜に到着した。

 甘孜にはゲルク派の大僧院、甘孜寺があるが、私たちが観光する暇がなく、甘孜に一泊して、理塘に向かって動き出した。新龍に着いたのが午後二時で、理塘へ行く路の確認ができないため、運転手さんもここでもう一泊しないかと、提案があったが、やはりこれからの日程は厳しくなるので、とりあえず、理塘に向かって行こうと決意した。

 この路を通るのが今年で二度目、前回は観光バスを使って通れたので、今回は四輪だから、大丈夫ではないかと思いながら、油断ができない。途中、土砂崩れも何ケ所もあったけど、そんなに大変ではなかった。七〇キロほど雅龍江を沿って走り、理塘県境内に入る。

 先日姉から電話があり、「新龍から理塘までは大変だよ、老郷(現地のチベット族の人たち)は道路中に検問を設け、通路代をとっているらしい、気をつけないと」。たしか新龍は辺境の地で、けっこうおさめにくいところで、いまだに山賊がいて、犯罪者も多い。 

 でも、今回は私たちなにもなかった。それより、新龍境内の道路は舗装されて、走りやすいである。理塘に入ると、悪路が続き、しばらく走ると、車がけっこうならんで、工事がやっているらしい、近付くと、工事が終わり、前の運転手の話では朝から工事が始まり、ずっとここで待てたという。私たちの運がよかった。でも、軍バに入ると、道路が土砂崩れで流されてしまい、川も老郷の畑が新しい道路となっている、斎藤先生も北田さんもこんな大変な路が通ったことがないらしい、北田さんは悪路の写真を撮りたかったけど、結局撮れなかった。

 軍バを通ってから、路の状況がだんだんよくなり、私たち理塘に着いたのが、夜の八時頃、もう暗くなった。

 出発してから六日間になる、今日はいよいよ目的地の一つ、ゲーサンメド小学校をつくった場所、曲登郷にめざす。

 私たち曲登郷二泊以上を滞在する予定なので、野菜や、果物などの食材を用意しなければならない、今回は北田さんが全然心配することないが、斎藤先生の体調はよくないので、少しでも休んでもらったほうがいいと思って、午前、私と鈴木さんは買い物、昼ご飯を済ませてから曲登郷に向かって出発した。

 理塘から曲登郷までは九十キロ余り、そのうちの三分の二は舗装された路で、残りの三分の一は悪路だが、初めで来た時よりはよくなった。車約四時間の走行で曲登郷に到着。前に来た時に、曲登郷政府宿舎周辺に、建物が少なかったが、奥地のここも建設ラッシュで、定住するようになった遊牧民たちが多くなり、人口も三千人を超えて、五、六百人も増えてきた。

 郷政府宿舎に着いて、しばらく休むと、斎藤先生、北田さんと一緒に小学校へ行った。小学校は八月二〇日から開校したが、学校に来ている生徒は二、三十人で、まだ少ない。郷政府の役員たちが各村をまわしながら、親たちに説得しに行ったが、やはり、子どもを勉強させない家庭がけっこうあり、特に女の子が多い。去年では学校に来ている子どもたちが百数十人もいたのに。

 学校の教室や、教師宿舎の内装工事まだ終わっていない、去年工事は全体的に良いと思うが、教室の屋上はしっかりやっていないため、雨漏りしている。だけど、子どもたちが真面目に勉強している姿を目にして、だれでも感動されるだろう。授業が終わってから、子どもたちは雨の中で、生き生き遊んでいる様子、都市に住む子どもたちにもっていないパワー、とにかくすばらしい。

 次の日、朝、斎藤先生と北田さんが学生たちの家を訪ねたいので、地元出身のヨントォ老師のご案内で、郷政府周辺の何軒の家を訪問し、民族衣装を着てもらい、写真もけっこう撮らしてもらった。

 午前中に天気が曇っていたけど、雨が降らなかったからこれから晴れてくれるだろうと思ったが、午後すぎると、また嫌な雨が降り出して、何もできない。斎藤先生は内装工事をいちいチェックして、北田さんは学校で、建物と子どもたちの写真をずっと撮影していた。

 夜は郷政府のせまい食堂で十数人も入り込んで、宴会をにぎわい、運転手さんも、彝族の影響をけっこう受けて、お酒を飲み出すときりがない、五〇度以上の白酒四本も飲んでしまい、私はヤクの生肉(味は馬さしと似ている)をたくさんいただいた。お酒あまり飲まない鈴木さんも、酔っぱらい、みんな遅くまで楽しんでいた。

 しばらく前に中国では「希望小学校は希望がない」という話があったが、それは小学校がせっかくでき上がったのに、学校には生徒を集められないでする。そうすれば、箱だけつくったもので、教育に関して、役にたたないである。私たちゲーサンメドはこれからも必要がある地域に学校をつくっていきたいと思うが、それより、教育の面は力いれることを大事にしなければならない。曲登郷の子どもたちの将来を考えると私たち小学校とずっと関わりたく、応援していくと考えている。

 

 

 

 

教室内装工事の確認と次回の援助する地域の調査の旅(二)

 

甘孜州九龍県の初等教育事情について

烏里 烏沙

 ゲーサンメド小学校の内装工事を確認して、鈴木さんは工事完了まで理塘に残す、私たちは次の目的地九龍に向かう。

 私は山の専門誌『岳人』に「わが故郷チベットに小学校を」の文章を発表したが、正確にいうと、私の故郷は理塘ではなく、九龍である。では、なぜ小学校を建設するところは九龍ではなく、理塘を選んだのだろう、環境的に九龍より理塘のほうが厳しく、これまで勉強する場さえないため、住民たちはほとんど文盲であり、子供たちは勉強することがもっとも必要と思った。

 私が理塘に小学校を建設していることを聞き、親戚や、故郷の人たちに、九龍も貧しく、ほかの地域より遅れ、といろいろ言われ。もちろん、個人的に自分の故郷にも何か貢献ができればいいとつよく思っている。

 九龍は甘孜チベット族自治州の東南部に位置し、北東部は雅安市石棉県、南は涼山彝族自治州と接して、人口は約五万三千人。一応チベット族自治州に入っているが、理塘と違い、理塘の場合は住民たちがほとんどチベット族で、もちろん、ほかに七つの民族が住んでいるが、チベット族は総人口の九四.〇四%も占めている。

 九龍では、純粋のチベット族ではなく、主に三つの民族が住んでいる、そのうち、チベット族は三〇.十八%、漢族は三二.六八%、彝族は三六.九八%で、残り〇.一六%はほかの少数民族である。

 前に述べた通り、川藏公路雅江段は、土砂崩れ起こったため、しばらく中断し、いまやっと開通したが、道路の状況はまだかなり厳しい、私たちは九龍へ向かう途中、雅江段を通ったところ、五時間も待たせ、道路も、民家もかなり水に流されてしまい、思った以上ひどかった。理塘から九龍まで一日で行かれるのに、今回は雅江に着いたのが夜の九時すぎ、今晩はここに泊まるしかない。

 雅江から九龍までのあいだも何ケ所土砂崩れがあったが、途中で撮影しながら、のんびりして、午後六時頃九龍に到着。甘孜チベット族自治州のなかで、九龍までの道路は一番遅くできたため、環境もあまり破壊されていないので、美しい自然が残されている。

 九龍の教育について、調べたいことはすでに県教育関係者たちと話してある。わたしは子ども時代からここを離れ、親戚以外の友人はほとんどいない。ホテルに到着してから、まずいとこのモタと連絡する。モタは九龍の教育副局長を経って、いまは県政府ー公室主任である。夜は県政府からごちそうをいただき、食事をしながら、九龍の教育事情について、二人の教育副局長から紹介してくれた。余局長は漢族で、尼克局長は彝族である。二人も前は中学校の校長先生だった。

 いまはちょうど、中国のヤク研究会は九龍で開催しているので、次の日、甘孜州の副州長がここにいらっしゃる予定で、モタは接待の仕事があり、私たちと付き合う時間がない。その変わりに、尼克局長が二つの学校を案内してくれる。ちなみに、九龍のヤクは世界一大きい、体重は一〇〇〇キロをこえるヤクもいると聞いた。

 最初につれてもらったのは九龍県の南部四〇キロにある乃梁郷の中心小学校である。前に述べた通り、九龍は主に三つの民族が住んでいるので、小学校の教職員も、学生も、チベット族、漢族、彝族からなっている。都市部の学校と違って、ここの教員はほとんど若手で、元気いっぱい。学校のすぐそばは道路なので、交通の面も便利。教室、食堂、教員と学生たちの宿舎、そしてトイレまで見せてくれた。教室はけっこういい。食堂、教員の宿舎が古いけど、簡単に手を入れれば、使えないこともない。斎藤先生は細かいところまでメモし、北田さんも記録写真を。気になるのはやはり学生たちの宿舎である、建物は余りにも古すぎで、ぼろぼろ、だけど、宿舎の中にはちゃんときれに片付きている。本当は宿舎だけでも建て替えてあげたいが、ゲーサンメドの援助する範囲を越えたと思う。

 でも、子どもたち四人に一枚の机を使って、熱心に勉強する様子も見ると、まずおどろいた、自分の故郷だから、自分もなんか、安心と喜びがいっぱいである。

 乃梁中心小学校の状況はだいたいわかり、呷爾河を下って二〇数キロ走って行くと、沙坪職業中学校に到着、尼克局長は長年この学校に勤めたので、よく知っている。彼はここ連絡しただろう、校長先生を初め、学校の関係者たち、何人か学校の前の大門に集め、私たちを迎えにきた。

 学校側の方々と挨拶してから、教学楼、教室、食堂、学生の宿舎、トイレまで案内してもらった。特に、新しくできた教学楼と食堂は都市部の中学校の設備と変わらないである。男性学生と女性学生の宿舎もみせてくれたが、みんな二段ベッドで、女性学生の宿舎は、洗面器、タオル、歯ブラシなどちゃんときれいにならんで、みんな感心した。それに対して、男性学生の宿舎は六〇年代に建てたお茶の工場の建物で、古くて、壁には穴やきずがけっこうあり、窓も閉められない状態である。

 普通の職業中学校は、日本の専門学校と似ているが、職業というのは、この学校では何か専門的な知識を教えているのだろうか、と校長先生に聞いた。校長先生はこの学校の生徒はほぼ一〇〇%が農村部から来ているので、卒業してからすぐ役にたつように、野菜や、植物の栽培技術を教えている。卒業してから一部の人たちが故郷に帰るが、ここは進学率が高いので、約六割の学生が成都や康定の高校に入り、さらに大学に進学する学生も多い。甘孜州に一八の県もあり、職業中学校が三つしかない。ここから卒業した学生たちは甘孜州に分布し、活躍している。州の中にはエリートの学校とも言えるだろう。校長先生はそう話してくれた。

 九龍にいるあいだに教育の面だけではなく、農業、観光などの面からもいろいろ紹介してもらい。地理的にここの交通状況が閉塞的、ほとんど死角に近い状態である。そんな状態のなか、九龍県政府、教育局などの機関は教育に対し、かなり力を入れていることに感動され、観光の面も県財政の厳しく、開発できない項目は、よそから入ってきた企業に任せ、伍須海などの風景区の開発は順調に進めている。近い将来、美しい九龍の名前も全国に、世界に知ってもらえるだろう。

 そして乃梁中心小学校と沙坪職業中学校の学生宿舎も近いうち、新しい宿舎に変えていくだろう。

 


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――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――