Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

『チベットを通して日本を見る。日本から理塘を考える。』
〜二人のチベット人の日本滞在を通して〜
鈴木 晋作

 

 基金会では、四川省より王さんと擁珍さんの二人のチベット人のお客さんを迎えました。

 今回は、9日間の私費滞在の間、基金会の総会に参加し、交流会を開くなど、内外の人を含め文化交流をする機会に恵まれました。また二人は、予定の合間を縫って、日本の名勝、名所を訪れ、友人に再会し、家庭料理を囲んで語らうなど、生の日本を感じられたと思います。

 これまで、成都の王さんには、日本からの訪問団の成都と理塘の送迎をするなど、中国での受け入れとして活躍され、理塘の擁珍さんには、現地での調査、政府との交渉で基金会に立会い、昨年の第2期建設中には、ぼくの生活面等を家族ぐるみで御世話になりました。

 ぼくも、今回はそのお返しと思って、烏里さんと共に予定に同行しましたが、実際には彼らを通して、異なる視点から多くのことを発見する日々でした。いくつかのエピソードを挟んで、擁珍さんの日本体験、ぼくのチベット体験をお話しいたします。

 

「今年は、理塘から来たお客さんが来た!」

 昨年は、建設担当として、理塘で東チベットの自然・文化の下、自分ではチベット人になりきったように生活をしていました。そうやって自己管理し、理塘にも適応することができたのでしょう。その間、理塘では方々で顔の効く、擁珍さんが協力してくれました。

 今回は、その頼れる『理塘の姐さん』の来日の日が急遽決まり、「明々後日から日本に行くから、いろいろお願いね。ホホホ…」と電話で言われれば、断る訳にも行かず、その受け入れ、通訳として、同行しました。宿泊先は中国語を解する知人宅にお願いしました。そのお宅は大家族で、一人二人くらい増えても減っても目立ちません。ぼくがこっそり帰ろうとすると「私をおいてどこへ行くつもり?」と、まるで擁珍さんの付き人のようでした。

 到着した翌朝は、にぎやかにチベット式の朝食を共に過ごしました。持参した理塘のヤクのバターとチンコー麦の粉で、ツァンパ(麦焦がしのような味)を作りました。バターをお湯に溶かし、塩を入れてミキサーで攪拌するも、空気圧で出来立てのバター茶は飲む前に半分ほど飛び散ってしまいました。ちなみに、理塘の中心部では、伝統的な木の筒と叩く棒を用いず、蓋に圧力を抜く孔のある専用のミキサーを使う家庭が、ここ1,2年で急激に増えています。いろいろと勝手が異なるも、95歳の御祖母さんに尊敬の意を表す白いスカーフ『カタ』を渡し、健康を祝福しました。理塘には、そんなに長寿の方はいません。面会したときは、チベット語で「ありがたや、ありがたや(カチォ・カチォ)」と呟いていました。これは日本語とも語意が近いようです。

 

「関心事・・・住、食、海、魚、寺、電車、花、神山」

 小さくてもキッチンバストイレがあるワンルームの部屋、家と家の境界や路地に置かれた植木鉢の花々など特に関心があったようです。水族館に行って、たくさんの海の生物を間近で見ました。あいにく、その晩の交流会には、刺身の盛り合わせが出され、箸が伸びなかったようです。理塘の信心深い人は、魚を食べません。伝統的に水葬という遺体を葬る方法があります。それもあって、宗教的に魚を殺めてはいけません。しかし、他人が採って来て、調理された『魚料理』だったら、食べてもいいと言う人もいます。基準があいまいというか大らかです。

 東京都心では、移動で頻繁に電車を乗り換えました。中国では、主に都市間を長距離移動する際に電車を使います。乗り換えと階段の昇降がどうにも面倒なようでした。

 調布の深大寺に行って、我々も擁珍さんに倣ってご本尊に五体投地を行い、古い佇まいのある門前町と武蔵野らしい静かな雑木林を通り過ぎ、神代植物園では、咲き誇った世界中のバラの前で記念撮影をしました。理塘では、7、8月の高山の花が咲く時期に、草原に行きピクニックをし、競馬祭を迎えます。目一杯着飾り、一年で一番楽しい時間を家族や友人と満喫します。各家には、花一面の草原に腰を下ろして撮った家人の写真が飾られています。

 やはり、日本に来たら富士山を拝みたいと言うことで、共通の友人の車で出掛けました。道中、峠からの景色、浜辺での水遊び、フェリー初乗船で山と海を満喫しました

山梨の山荘で寝床に付く前に、やはり富士山に向かって五体投地をされていました。日本にいてもチベットの習慣を忘れません。

 

「言葉の重要性、歌や踊りもひとつの‘言葉’」

 王さんと擁珍さんのお別れ会には、理塘の思い出を持っている人がたくさん集まりました。ここで二人は、東チベット発の中国の流行歌を歌い、擁珍さんが理塘の踊りを紹介し、参加者全員で輪になって踊りました。それに対し、日本側も踊りのお返しをしようと思っても、簡単には思い付きませんでした。

擁珍さんと家族ぐるみの友人宅で、和服を着付けてもらい、不思議なくらい似合いました。そういえば、建設中に訪れた二人の明治大生も理塘の衣装が似合い、すっかりチベットの娘さんに見え、曲登郷の人気者なったのを思い出します。ちなみに一般的に理塘では、女性のほうが頻繁にチベット服を着ていると見受けられます。

 擁珍さんは、日本の若い女性の姿勢を見て、ふらふらと歩く人が何と多いことか、と言います。現代社会では、他民族の例に漏れず、理塘の若者も普段は、民族衣装を用いませんが、お祭りや踊りの発表会など晴れの時には、男女ともチベット服を着用し、背筋がピンとして堂々たる姿です。

 これは、理塘滞在時からの私見ですが、三〇歳代以上の人が根っからの『チベット人』と感じさせます。それは、東チベットの自然・宗教と密接な草原での生活、育まれた、陽気でおおらかな人間性を共有しています。同時に、歌や踊りや衣装や住まいの文化によって声、姿勢などの身体性も同居しています。擁珍さんと二人で話していると、理塘にいた時のような感じがして、曲登小のザシ校長先生や小学生たちなど懐かしく想いました。また時々、ぼくにチベット語で不意に話しかけるなど、これは反対に理塘にいる時にはない不思議なことでした。

 

「草の根であり続けること」

 王さんと擁珍さんの今回の訪問によって、現地での交流・調査を通してできた、個々の関係性が表現されました。そして単純に日中友好という枠に収まらず、草の根の活動を通し日本でも多くの関係性が生まれました。小学校ができたことと同時に基金会の活動の成果・財産と言えるのではないでしょうか。

 お互いの言語を理解するのはもちろん重要ですが、歌、踊り、衣装、住まいの文化がコミュニケーションの『言葉』としての働きを有します。それらを大事に、新たな方向を探り、活動を持続させましょう。(終)

 


HOME

――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――