Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

「自然と人に祝福されたところ、理塘から」
―東チベット滞在、そして建設参加へ―
――鈴木晋作

 

 二〇〇三年九月の基金会調査団の同行に始まり、その後、個人として中国滞在中に、このの曲登小学校建設に向け建築調査・教育局との話し合いを重ねました。二〇〇四年二月初旬の帰国まで、四川省成都を基点に東チベット旅行と語学学習を経て、建設参加に備えました。帰国後はSITEの設計活動に合流し、四月から現地にて大工さんと協議協同するための用意をしています。その成果をNPO会員大岩昭之氏の写真展に東チベットの生活道具と共に展示しました。チベット建築の多様さと建設活動への感心から東チベット来訪を希望する声も多く聞かれました。この場を拝借して、東チベットで出会った人々との「東チベット体験」をお話し致します。

 

四ヶ月の間に(仮)

 二〇〇三年九月、十月そして翌一月末の旧正月(春節)に、計三度理塘を訪れました。二度目は十月にウリさん主催の旅行団に同行し、教育局と話し合いをするために、そして三度目は厳しい真冬の生活を体験するために訪れました。旧正月(中国旧暦新年とチベット暦新年とも例年は同時期)休み前の最後のバスに乗って成都から理塘へ。バスには帰郷する学生・出稼ぎの人・僧侶など、ほとんどの乗客はチベット人でした。車中、四川師範大学で少数民族の教育を研究されている趙先生に出会いました。旧正月の休みを利用して個人調査旅行をしているそうで、目的・関心に共感し行動を共にすることになりました。

 三度の訪問では街を歩くと「おぅー、また来たか!今度は何をしているんだ」とか、「あのときの写真はどうなった?」とよく声がかかります。歓迎しているのか、面白がっているのか、よく覚えてくれています。チベット文化の物を買っても、前より多くまけてくれます。何よりも増して、外境人のぼくがチベット服のチュパを着ているのが人々には可笑しかったようで、例えば民宿の奥さんは毎朝顔を合わせるたびに笑い、お坊さんは遠い国から来た僧侶かと問い、近所の中学生などは気味悪がって近寄ってきません。時に漢族の人に道を訊かれる事も。

 四川大学(成都)での語学学習の成果もあって、なんとか話が通じました。ただし相手が辛抱強い人か暇な人でなければいけません。お寺の小坊主さんや小学生は、ぼくと互いに中国語の程度が近いこともあって案内と通訳を買って出てくれます。そのおかげで人々と交流し、家にも招かれ住宅調査ができました。湿地帯が凍結のため曲登郷訪問は果たせずも、街(高城鎮)から川蔵公路を西、巴塘の方へ60km行った遊牧地域で遊牧民のテントで共同生活をすることに相成りました。

 

遊牧民の四人兄妹

 曲登郷に北面するホーニー郷は理塘でも一番大きな草原のあるところです。ここでは遊牧民の四人兄妹と、三日間寝食を共にし、弟と妹に付いてヤク・羊を追い、遊牧生活に触れる良い機会になりました。でも一人で歩いていると黒くて獰猛なチベット犬に追われます。放牧から帰り、陽が沈みきる前にヤク・羊の数・健康を確認して、ようやくお姉さんの作った夕食を食べます。ヤクの糞が燃料の土の窯を一緒に囲んで、温まりながらゆっくりと。しばらくすると、狼の遠吠えが聴こえます。日中ずっとごろごろしている(家を守っている)お兄さんは、「バンク(狼)獲りに行くか!」「四人だったら大丈夫!」と言います。どうやらぼくと趙先生も頭数に入っているようでした。

 早朝の暗がりの中、草原を這うように遠くへ去って行く銀色の影が五つ六つ見えました。以前は銃で追っ払らい、時には狩猟していたようですが、今では銃の所持が禁止されているようです。夏でも冬でも、ヤクの毛で編んだ天幕一枚のテントはとても草原の中に寝ているように開放的で夜半は凍える寒さですが、共に心から温まる時間を過ごしました。三日間の滞在を終え、車で迎えに来た中学校のチベット族の先生を通して兄妹に訪問の意図を伝えました。下の妹は七、八歳で入学適齢期です。趙先生は兄妹全員の前で、彼女に勉強する機会を与えてみないかと誘いました。妹は答えづらそうに、テントを出て行ってしまいました。他の兄妹はみんな賛成して、できたら彼女の案内で遠くの街を見てみたいと言います。でも家族のことを決めるのは、父親がいない今は母親であると言うので、お兄さんを連れて車でさらに二十分ほど西走し、実家に会いに行きました。母親は有無を言わさず、駄目だと言います。趙先生は、三日間かけてそれとなく兄妹を説得し、さまざまな条件を用意するつもりでした。母親にはその検討の余地もなく、諦めて引き返しました。帰りにテントの前でみんなの写真を撮りました。妹ザシヅォマのはにかんだ姿は忘れられません。その写真をいつか渡せたらいいと思います。

 

曲登郷の大ラマ

 曲登郷には行けませんでしたが、理塘の街で旧正月を過ごしている曲登郷の大ラマに会うことができました。民宿のご主人と趙先生を通して、これまでの「曲登小学校の経緯」とこれからの「建設開始・日本からの曲登来訪」を伝えました。ラマは緊張気味のぼくを眺めながら、なんだかずっと笑っているようでした。あとで趙先生がぼくにこそっりと伝えました。遊牧民の家から帰ってきたばかりのぼくの姿を形容して、「鈴木是牧場王」とおっしゃったようです。そして「困ったことがあったらお寺を訪ねるように」と。これは大変心強いことです。

 

趙先生

 博学で情熱家の彼を通して多くの事柄を学びました。中国の中の東チベット、その中の理塘。漢族とチベット族。例えば、チベット族の子供は彼に向かっても、「ハロー」と呼びかけます。彼は更に理塘のことを調べ、理塘とインドの関係にテーマを置くようです。聞くところによると、理塘の人が今では五百人以上もインドに在住しているようです。

 二週間の滞在を終えて、新年の初めのバスで成都の街戻りました。知人の新年会に呼ばれましたが、理塘から戻ったというと集まった人々はチベット族だと思ったようで、最後まで「本当に日本人?」と言い、信じてくれない人もいました。確かに理塘の気候も日常生活も厳しいものです。成都や日本に戻ってくると何か「向こう側」の世界と言った感じがします。

理塘は「宗教と空と草原と山と密接な関係が祝福されたところ」、街から集落と理塘寺を越え、息を切って登った小高い山から見下ろすとそのように感じます。連なる山々が草原を遥か遠くで被い込み、山に寄り添うように街ができています。お寺の裏の小高い山に登れば太陽の動きはもちろん、家々から上がる煙が見え、遠く草原で放牧されるヤクの足音まで聞こえてくるようです。それらは、形と関係性から何かとても大きな手の中に包まれるような格好に見えます。そんな安心感が漂っています。

西の方角へ少し目を凝らすと、川蔵公路に面して均等配置された住宅郡が見えます。近年、ここ理塘でも高城鎮の街を中心に郊外化が始まっていると言えます。それらは外発的な発展であり、遊牧民の生活に大きく影響を与えるものです。街でもコンクリートの建物が目立ち始めています。石と土のチベット式住宅の補修にも、以前なら用いた石灰と土に替わってセメントを用いています。しかし、風土と感性にそぐわないそれらがすでに剥落し始めている箇所を見ることもあります。理塘の諸問題に自発的に声を上げる僧侶や若者にも出会いました。

 

建設へ。「参加する」(仮)

 日本では昨年九月の調査に引き続き早稲田大学芸術学校生、さらに明治大学の学生も設計・展示活動に参加してサイトに集まってきます。着工後も活動を継続し、その成果を携えて理塘・曲登郷を訪れてくれるでしょう。多くの人によってゲーサンメドの種は蒔かれ、日本と東チベットのあちらこちらでその萌芽が見られます。四月十五日の着工から九月一日の開校まで、建設現場に滞在します。では、曲登郷で子供たちと一緒に皆さんのお越しを待っています。

                                       (おしまい)

 


HOME

――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――