Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

チャンタン高原のテントの寺院

――大岩昭之

 

 『西藏研究』(1991年1期)に「羌塘草原上帳篷寺テ――柏爾貢巴」2ページの論文が載っていた。テントの寺院らしいが、どこにあるのだろうか。羌塘はqiang tang、チャンタン高原にあるらしい。しかし、写真は出ていない。チベットのテントの寺院についてはほとんど文献にも出てこない。モンゴルでは一部テントにしている寺院の写真(現在は無いようである)を見たがチベットではどのようなものだろうか。しかも文献では80根(80本の支柱)と記載されている。見てみたい。我らのNPO理事長、烏里さんに話したところ、ツアーを組みましたので行きましょうとの話があった。「魅了するチベット・チャンタン高原の最奥地へ」、タイトルがよかったのか総勢8名。チベット初めての方も多く、ちょっと心配な面もある。

 8月25日(2002年)ラサにいた。テントの寺院があるとされるのはラサの北方、約450H、那曲(ナクチュ)の先、チャンタン高原の安多(アムド)。

 8月26日 頼んであるランクルがなかなか来なかったが9時30分、3台に分乗してラサを出た。北に向かいチャンタン高原を走る。途中左側に連山が見えていた。たまに民家もあるが、紅い周りの土と同じ色、日干レンガ造か建物は低く、環境の厳しさが伺える。夜遅く安多に着く。

8月27日 寺院のあるのは安多の東50km、灘堆(タンドォイ)郷である。安多からは少し幹線を走ったがまもなく山の道(草原)に入る。そしてこの道は工事中であった。工事中といっても勿論舗装をしているのではない。轍の跡を確認しながら進むのだが、目指す寺院はたまに出会う人に聞いてもはっきりしない。実は安多で老人達に聞いても、聞いたことはあるが、見たことはないとの話だったので、本当にあるのだろうかと心配になってくる。そして同行のS.G.さんは、かなり具合が悪い。短い期間で高度を上げてきているので皆も大分高度障害が出てきている。心配していた事だが、具合が悪い何人かを乗せた一台の車は通訳共にラサに戻って行った。

 今日は、難堆まで行く予定であったが、その手前でキャンプにすることにする。ただ一台の車だけはとにかく行ってみようということで、同乗する。道は相変わらず悪い。しばらく行くと前方に集落らしいのが見える。しかし運転手は道が悪く今日は行くのは無理だという。仕方なく確認できないままキャンプ地に戻った。テント・サイトはチャンタン高原、遊牧民のテントが近くにポツン一つあるだけのところ、他には360度見渡しても何もない。ただし水場となる小さな池はある。高度は4800m。テントの寺院はかなり建替えられているらしいとの情報は入る。

 8月28日 夜中はかなり寒く、それに高山病の影響でよく眠れなかった。朝起きたら、外気は−4℃であった。テントは夜露が凍ってバリバリしている。しかし、先程の池はなぜか氷は張っていない。昨日途中まで行った悪路を再度進む。道は悪いので本当に行けるのかまだ心配である。とうとう集落らしいところに近づいた。しかし、寺院らしい大きな建物は見えない。ついに集落に着いた。お坊さんがいる。ここは間違いなくペェリー・ゴンパ(be riユ gong pa・柏カケア巴)である。柏カとはこの集落の名前である。ガイドはお寺を見せてもらうよう交渉している。周りにはたくさんの僧侶たちが集まってきた。なにせ日本人は初めて、外国人が来るのもほとんど初めてのところである。交渉も成立し寺院内に入る許可がでた。改めて周囲を見ると、日干しレンガ造だろうか、粗末な平屋の僧坊が周りに建っている。それにチョルテン(仏塔)、そしてテントのお堂があった。約15.3m×10mの長方形の白いテント、3本の支柱のあるテントの経堂である。中は僧侶が座れるように長くマットが敷いてある。その隣に繋がるように丸い径5mほどのテントの仏殿。普通のテントでない証拠に頂きに宝瓶(ほうへい)が見える。ここでは4人のラマが、お経をあげていた。そして小さな菩薩像。その横に経典の棚があった。天井中央には天窓があり、この造りはモンゴルのゲルと同じである。ただし、このゲル(仏殿)には中央にしかりとした柱(角柱)があった。モンゴルのゲルの場合は天井(天窓)部分を2本の細い柱で支える。このようにしっかりした柱を使っているのは、このゲルが固定式仏殿の証である。しかし、80本の支柱のあるテントの大経堂はなかった。聞けば十年程前にテントの経堂の横にあるコンクリート造のお堂に立て替えたとのことである。後でこの中にも入ったが、ガランとして殺風景なものであった。残念ながらテントの大経堂は、どんなものであったかは、分からなかった。

文献によるとこのテント寺院の創建は1654年、350余の歴史があり、一度も石積壁、木などで建替えられることはなかったといわれている。以前あった黒色の大テント経堂は200名の僧侶が勤行できたとのことである。そして周りには僧坊用の小テントが四重にも取り囲んでいた。ここの部落は数百年前に青海省・玉樹から移って来た人々である。ところで、なぜテントの寺院が造られたのだろうか。チャンタン高原は環境が厳しい。もちろん森林などはない。ここでは木材を手に入れるのは大変なことであっただろう。そして建築材料となる石もない。寺院が必要となれば天幕で造らざるえなかったに違いない。もっとも全てがテントで造ったわけではないようである。例えば那曲地区の夏丹寺は、最初は簡単なテント寺院であったが、その後次第に発展していき、石積・木材を使い、1842年の増築の時には48本の柱、三層の経堂が造られたと文献には記されている。又、当然ではあるが、移動できる大きなテントの寺院もあった。

一通り見終えた後で、一棟に招かれたが、ここのラマたちは非常に友好的であった。バター茶をしきりにすすめる。飲むと又、注ぎ足してくれる。聞けば、現在40余の僧侶がいるとのことである。若い少年僧もいた。ところで寺院の周りには遊牧民のテントが多く張られていた。明後日、お寺で大きな法要があるとのこと。近隣の遊牧民が集まっていたのである。この地域では今でも、寺院は精神的な大きな支えなのであろう。なお安多は、現在工事中の青蔵鉄道が通るところである。今あるテントの寺院もいつまであるか分からない。

8月29日 今日はナムツォ(ナムツォ湖)まで行く予定であったが、夜の八時になってしまったので、当雄に泊まる。

8月30日 ナムツォ湖で日の出を見ようということで当雄を朝5時30分に出発、ナムツォには7時頃には着いた。今の季節、雨季なので心配していたが、よく晴れている、ニンチェン・タンラ峰(7162m)がよく見えていた。湖畔には遊牧民の黒いテントがあった。

ラサに戻る途中で羊八井寺(ヤンバーチェン・ゴンパ)に寄った。羊八井は温泉がある事でも知られている。寺院は温泉のある所から少し離れて、シガツェに行く道沿いにあり、寺院の背後に登るとなかなか景色のいいところである。羊八井寺は15世紀末に創建されたカルマ・カギュ派紅帽派の主寺であった。

 


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――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――