Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

「中国・丹巴」豊饒の山里・巴底郷を行く

――渡辺 千昭

 

 季節が乾期になって天候が安定してきた昨年10月中旬、中国四川省北西部に位置する丹巴とその近郊の山村・巴底郷を訪れた。

 丹巴へは、近年道路事情が良くなったため、四川省の省都・成都からだと四姑娘山山麓の巴朗山越えでほぼ一日、甘孜蔵族自治州の省都・康定を経由すると二日間を要する道のりである。

 丹巴は大渡河が大金河や格石扎河など四つの川に分岐するところに開けた町。この辺り一帯にはギャロン・チベット族と呼ばれる人々が多く住み、独特の民族風情が色濃く残るところである。特に石「ちょう」(チョウの文字は石へんに周をくっつけた文字=日本字になく作字して下さい)「セキチョウ」と呼ばれる石の塔は、その昔、のろし台や見張り台、防衛や戦闘などのためにつくられたとされ、このエリアに今も数多く残されている建築物として知られている。丹波のホテルに泊まった翌日、私の友人で日本から同行した烏里烏沙君の親戚に当たるオゥツォ嬢(丹波在住・チベット民舞の舞踊家)の実家がある巴底郷を彼女も同行して訪ねることとなった。

 丹巴で地元の四輪駆動車をチャーターして出発。大金河沿いの道を約三〇キロほど走行した後左折して高みに向かう。小型車がやっと一台通行できる幅の急峻な道はダートそのもの。つづら折りのコースはもちろんガードレールはなく谷川に落ちたらひとたまりもない。恐い思いをしながら標高差にして七〇〇メートルほども登るとやっとの思いで巴底郷にたどり着いた。

 谷間に拡がる山の斜面に点在する集落の人口はおよそ数百人ほど、農業を生業とするギャロン・チベット族の村である。

 訪れた甲呷澤郎さん(ジヤガツェレアン・五五歳)の家は集落の上の方にあった。石と木材を組み合わせて造られたチベット式建築でかなり大きな家である。一階は家畜ゾーン、二階と三階が居住空間になっていて客間には太鼓など民族楽器も飾られている。柱や壁面は赤や青を基調としたチベット模様が施され特有の空間を見せている。この一家はご当主夫婦と、長男夫妻、孫二人の六人家族で農業を中心とした生活を営んでいる。

 歓迎を受け、昼食にたくさんの郷土料理をいただいた後、村内を見て回った。収穫が終わって民家の屋上一面に干してある黄金色のトウモロコシが辺りの山の緑に対して美しいコントラストを見せている。民家の屋上では日干しした穀物を器具で打ち据えながら脱穀をする人の姿も見られる。収穫を終えた畑地を耕す人々の姿、畑に栽培されている青々とした野菜、集落のそこここに実る赤いリンゴの実・・・・・のどかな豊饒の光景がそこにあった。

 この村にもいくつかの石チョウがあった。下の集落の中心を成しているのは官塞石チョウ楼である。この石チョウはかっての統治者の役所機能と住居機能、そして争いの時には避難場所としての機能を有していたとのこと。塔は九階建てとかなり大きく立派なものだが現在は壊れていて使われていない。

 上部の集落にある石チョウは民家の隣に建てられている四角形の塔。入口は閉ざされていてこれも今は使われていないという。高さは三〇メートルほどもあろうか、しっかりと組まれた石壁の模様がきれいだ。抜けるような蒼穹に向かって立つ建物に昔日の面影が感じられた。

 


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――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――