Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

「チベット寺院・建築巡礼」出版に思う

――大岩昭之

 

 この度「チベット寺院・建築巡礼」(東京堂出版)を出版することができた。この本は私にとっては感慨深いものがある。以下の文章は本の「はじめに」「あとがき」にも書いたが、再録する。

  西蔵は古来世界の謎の国とも云われ、秘密国とも称せられ、

  その国情の真相は多く世に知られなかったのであるが、今や諸

  国の探検家や各方面の学者の研究によって、その秘庫はようや漸くひら発

  かれつゝある。

 これはわが国最初の建築史家として知られる伊東忠太(築地本願寺などを設計)が昭和元年(一九二六年)に発表した論文「東洋建築史概説」に収録されている文章の一部である。

 しかし、伊東忠太が言った “その秘庫は漸く発かれつゝある”が現実のものとなるには、なお、五〇年余りの歳月が必要であった。ラサが一般に開放されるようになったのは、一九八〇年代に入ってからである。当時はまだチベットを代表する建築物・ポタラ宮の写真さえ珍しく、チベット建築に関する資料は中国でもほとんど無かった。それから一〇余年、一九九四年に『西蔵布達拉宮修繕工程報告』(文物出版社)が出版された。これはポタラ宮の大修繕工事に基づいた報告書であるが、これにはポタラ宮の詳細な図面が載ってる。それまでは簡単な図面しか発表されていなかったので画期的なことであった。今ではポタラ宮に限らず、チベット建築に関する文献も多くなった。それにほとんどの地域にも行けるようになった。ようやく伊東忠太の言葉の先に来たと言えるだろう。

 ところで、私に「なぜ、チベットなのか」とよく聞かれる。直接のきっかけとなったのは一九八二年にインドのラダックを訪れたことによる。これが私の最初の海外旅行であった。荒涼とした大地に建つ寺院(ゴンパ)、そのたたずまいが私を強く惹きつけた。この地は、まだ“未知”なる世界、そこには大自然と共に連綿と営まれてきた人々の文化がある。この未知なる文化に対する憧憬が、私がその後長くチベットに関わり続ける要因となったのかもしれない。

 また、「なぜ、最初がラダックだったのか」とも質問されることがある。子供の頃から“秘境”と言う言葉には何か心を揺さぶられた。シルクロード探検のスウェン・ヘディンの本や河口慧海の「チベット旅行記」などを読んで子供心に遠い世界を思い描いていたものである。しかし、実際にそこに行くことなどは夢のようなことであり、私が大人になってもなかなか実現することはなかった。

 一九八〇年に池袋の西武百貨店で大がかりなラダック地方の「マンダラ展」が開かれ、その企画に合わせてツアー参加者を募集していた(この地域は一九七五年に外国人に開放されている)。しかし、この時は行きたい気持はあったが、決心がつかなかった。そして、その二年後に夢がやっと実現することになる。この旅行中に、まだあまり紹介されていないゴンパなどを写真に記録するのは意義のあることではないかと思うようになったのである。そして翌年にチベットに行った時から、今も愛用しているハッセルブラットSWC/Mを持って行くようになった。

 これまででチベット文化圏への取材も二〇数回になったが、まだ訪ねていない地域もある。もう少しチベット行きは続くのだろうか。

 


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――――チベットカム山岳研究同行会 烏里 烏沙 制作・2007年12月15日――――