波密南部のガワロン峠、山の向こうはロバ族の里

 

樹 葬

――チベットガラン地方王朝を訪ねる

烏里 烏沙

 

 チベット高原の葬式について、語ると、チベットをよく知っている人や、ある程度知っている人はみんな鳥葬(中国では天葬という)を思いだすだろう。天葬は一般の人のための葬儀で、チベット地域でよく行う。「はつらつとしている精霊が真っ白な羽をばたつかせて大地の霊感を導って天国にあがり」というたとえがあるように、やり方としてはまず骨の部分から、そして肉の部分をハゲワシにあたえ、こうして死体をのこすことなく、ハゲワシに「昇天」させ、屍体が「虹の如し、無くなっていく」。

 鳥葬以外に、チベット地域では、また、水葬、土葬、火葬、塔葬がある。

 水葬は一般に、こじきや寡婦、孤児などの経済的に恵まれない者のための葬礼であるが。広大なチベットには地方により、たとえば、チベット南部の谷間、カム地方の北の一部の地域で行う葬式は主に水葬である。土葬は一般に、ハンセン病、タンソ病、天然痘などで病死した人や、殺人などを犯した者、刀や槍で殺された者のための葬礼である。火葬は、活仏や貴人、高位高官のための葬礼であり、塔葬は、さらに声望のある活仏のための葬礼である。

 それ以上、チベットではまた樹葬という葬式が存在していることがウワサからよく聞いたが、場所はどこにあるか把握(確定)できない。樹葬は文字通り、木がないとできない、広大なチベットに森林が豊かなところはチベット東部にしかない。

 「中国西藏」にチベット各地域の歴史や風習がよく紹介しているので、その中から樹葬や、壁葬などの記事を読んだことがある。妙なのは、そのなかにもチベット唯一の樹葬であると書いてあるという、その場所は波密県ではなく、四川省甘孜チベット族自治州の白玉県三岩というところにある。

卓龍溝の樹葬

 先日、白玉県旅遊局の局長黄勇氏とあって、その話しをしていた。中国では、自分の書いた物事を強調するため作者が調べないで、勝手に記事を書く事情が随分あるという。

 二〇〇六年の秋、チベットカム山岳研究同好会のメンバーたちがカムの山と渓谷を探察する時、偶然にチャンスを得て、近代まで存在していたガラン(クツ朗)王朝を訪ねることができたのである。

 カム地方西部、ヤルン・ツァンポ川北側に、パァロン・ツァンポという大きな川があり、この川は東西二本の支流に分け、西のイゴン・ツァンポと称し、全長の295キロメートル、東の支流はパァロン・ツァンポで、全長は260キロメートル、流域面積は二八九三九平方キロメートル。チベット語では“父の故郷の川”の意味である。河沿いの植生がそのまま残し、風光明媚で、農業と林業は古来より発達している。ここは古くから波密王国の主要な領土である。

 ここはインド洋に向けて、垂直に分布されている地ぼうをはっきりしている。谷の一帯には熱帯雨林で、海抜が高くなるに連れて氷雪の世界に入る。熱帯の植物から寒帯の植物までそろい、植物の王国といわれ、中国もっとも広く、唯一自然そのままの原始森林である。

 中国では、海外に知られていないながら、実際独立になっている状態の地域が多く、ガロウ王朝もそのうちの一つである。

 チベット第八代国王ツゴザンポ三子の加赤で、国王ツゴザンポは大臣に殺され、三人の王子はそれぞれ貢布、娘布、波密の三つの地方に逃げ、三子の加赤はしばらく隠居して、波密でガロウ王朝を造った時、最初のガロウ王に選ばれた。

 ガロウ王朝は一九二七年にチベットガシャ政府と戦争によって滅亡した。波密の歴史について現地の人々に聞いたところ、一〇〇〇年以上の歴史を持ち、チベット最初のツェンボ(王)がここで生まれた。その時、ガラン王朝はまだ誕生していなかったという。中国では各県にそれぞれの県誌があり、なかには県の歴史を記載されている。ここは県誌がつくっていないという。

 
波密地方の独特のマニ石

 波密は「チベットのスイス」と言われ、会のメンバーたちがここを訪ねるのが今度で2回目である、波密県政府所在地扎木鎮は山に囲まれて、町から回りを眺めてみると、四面とも雪山があり、とてもきれい美しいである。

 この辺は、未知の山々が多く、易貢錯周辺の山塊、墨脱県に向かって行く途中のクツ瓦龍天池、玉仁の則普氷河、そして、玉普周辺でコネカンリ山群など、日本もそうだが、中国にも知られていない。

 一昨年、ハヤアシでカム地方を5000キロ及ぶ旅をした時、この地を訪ね、天気が絶好調だったので、同行するメンバーはみんな、ここの景色に魅了されてしまい「いつかまたここを訪ねてみたい」といった。

 今回のメンバーは前回のメンバー全員プラス京都山岳会のメンバー二人の六人である。

 一〇月は雨期が終わり、天気が安定しているし、紅葉もきれい、それになんといっても山がもっとも美しい姿をあらわしてくれる季節ので、だけど、旅はじまってから、いままで、例年と反して、晴れる日が少ない、

波密に着いた時に困っていた。

 翌朝起きた時、町のまわりの山々が雲にかけられ、今日はクツ瓦龍天池へ行く予定だったけど、朝食の時、メンバーの方々に「今日は、スケジュールを変更して、面白いところつれてあげる」と、みんな賛同してくれた。

 行き先は昨日の午後県旅遊局局長から教えてくれた卓龍溝である。あそこはチベット唯一の「樹葬」という葬式が見えるという。

 地元の人のはなしによると:「卓竜」は聖地という意味で、聖地だからいろいろ古い伝説があり、そのために神秘的な色をはおりました。

 聞くところによると、卓竜はチベット仏教の中の女神のドォジェパァム「カ狄ワナチトキ」の領土で、周囲の雪山の断崖ごとにはすべて一人の仙人の姿のようで、神山の下に一つの似ている腕のくねくねしている形の地方があって、たくさんの子供はこの辺に「樹葬」されている。この地方に言い伝えられているのはドォジェパァムがもっぱら生まれて一年にたっていないうちに死んでしまう赤ん坊を埋葬するため用意したところで、「樹葬」は赤ん坊がまだこの社会を接触していなく、いかなる罪悪と善良な事をしたことがない、いわゆる「純潔」、そのため「樹葬」する資格があり、彼らが生まれ変わってから、大きい木のようにすくすくと育つと望んでいるという。最近では、年齢の制限がすこし変わり、もともと一歳だったけど、二歳まで許せるようになり、いまは一二歳、一四歳までもできるらしいが、一四歳を越えてここで樹葬することがわかったら、樹葬した屍体をはずして土葬する。旅遊局の局長がいう。

 ここに「樹葬」したものは五百近くの赤ん坊の死体と“土葬”した二十近くの高僧の死体があるという。

 運転手は十数年運転する経験をもつ若手のロサンで、ほぼチベット全土まわり、ここも、よく来ているが、卓龍溝のことが聞いたことがないという。

 わたしたちの車は橋を渡ってから、路を探しながら、結構苦労をして、やっと卓龍溝の入口まで来たが、あいにく、入口のところに欄があり、カギがかかっている。わたしとロサンが車からおりて、まわりをのぞいてみたが、だれもいなかった。あきらめようと思ったが、入口の柱に電話番号を書いてあり、時間が結構たっているので、文字も薄くなっている、わたしはロサンに「ここは電話番号を書いてあるので、もしかしたら、これは管理人の電話かもしれません、かけてみましょうか」。

 そして、ロサンは柱に書いてある番号をかけてみると、いろいろ聞かれたけど、ロサンは電話の中で交渉しながら、向こうは、キを取りに来て。ロサンとガイドさんがキを取りに行った。

 卓龍溝に入り、車が狭い路を沿って上って行く、路がかなり悪いが、わたしたちがもっとひどい路、そうじゃない、川みたいに石だらけのところもはしったから、いまはみんな余裕がある。

 しばらく走って行くと、前方に雪山の姿が現われてくれた。いつの間にか、天気もよくなってきた。車をゆっくり走りながら、いい角度を見つけて、車からおりてきて、シャッターを押した。

 さらにすすめて行くと、渓谷はだんだん広がり、牧場みたいなところがあり、放牧している人たちが臨時住む山小屋みたいな簡易建物が何軒かある、その手前は野菜も植えっている。まわりの森は紅葉になり、ちょうど見ごろで、渓谷の先が雪山も眺望できる。ここは写真を撮るいい場所ではないか、みんなと目の前の美しい景色に魅了され、ここでしばらく休憩することにした。

 利根川さんと中島さんとわたしはいい角度を探しながら写真をおさめ、石井さんが位置をはかる機械をつかいながら楽しんでいる、内田さんは写真よりスケッチで忙しい。

 ロサンはわたしに「リー哥、ココでご飯でもつくろうか」、時計を見ると、もう十一時だ、ここでご飯の仕度をしないと、昼食を食べるところがない、ちょうどわたしたちが八一で買った食材が又残っているので、ガイドさんが勝手に現地の人たちがつくった野菜をとり、運転手たちとご飯をつくってもらった。

 食事を済ませてから、天気もよくなり、青空も出てきた。メンバー全員が初めてだし、運転手らも好奇心をもって、みんな車に乗って、前に進んで行く。

 しばらく走って行くと、チョルテンがいっぱい並んでいるところに着く。これを見ると、この近くはお寺があるだろうと思っていた。景色がきれいので、ここも撮影のポイントになる。みんな車を降りてから、周辺ひとまわりをまわって見ると、この先は車通れる道がない。中島さんは途中で樹葬を見つけたという、わたしは、じゃ、帰る時、その場所を教えてね、と彼に話をした。

樹葬場の附近で出会った尼さんたち

 もっと前に行きたかったら、歩くしかない。利根川さんがあまり歩けないので、厳しい。

 先に行くか行かないか、迷っているところ、三人の若い尼さんがこちらに向かっている、そのうちの一人があいさつしてくれたので、わたしは彼女にお寺とか、なにかあるか、と聞いてところ、ロサンがあとから来て、いろいろ話しをして、かれはハンサムだし、冗談もうまい、けっこう女性に好かれるタイプで、尼さんたちが恥ずかしいながら、結局お寺まで連れてもらうことにした。

 利根川さん上にあがるのが無理ので、わたしは彼に:これからけっこうのぼるので、わけ道に入らないで、車泊まるあたりで待っていただきますか。かれは、いいですよ、いっていらっしゃい。

 わたしたち一行七人、尼さんと話しをしながら、マニハタいっぱいを木にかけているところを通って、いつの間にか、お寺まで着いた、ここのお寺はニンマ派の寺院で、規模がちょっと小さく、寺院より、先のほうが魅力あるので、寺院を訪ねず、そのまま上に向かっていく、ここから一〇〇メートルぐらいの先に進めて行くと、青々としている原始森林で、茂っている森林のなか、鬱蒼としていて、なんか恐怖感が出て来て、一人だと心細くなると感じたのである。

 まわりを見ると、木の上はたくさんの木箱を掛けていて、大きな木箱はひつぎみたい、そのなかにはふろしき包みあるいは缸の中の死体を詰めているものもある、ちらっと眺めると、長年木から地上に落ち込んでいる死体を点在している。ほかのメンバーたちが先に行ったが、そういうのがみたことがないので、わたしはどんどんシャッターを押していた。

 最後上の山を見えるところまで行ったが、雄大な景色を楽しめる気分にならなく、写真を何枚かを取ってから戻った。帰るとき、いろいろ考えて、景色が確か美しいけど、ここは「樹葬」する神聖なところだし、普通の人々の言い方でここは「墓地」で、死者たちの永眠した場所なので、お邪魔しないほうが、死者に対する尊重ではなかと思う。

 最近、波密県地方政府は、観光地として卓竜溝を開発しようとしている。卓竜溝の山と渓谷、氷河、そして寺院と樹葬などの自然景観や、民俗文化が売り出せば理想的な観光地になる。樹葬はたしかに波密の一つ特色の名所になるが、観光地として開発して行く必要があるかどういかは、現地の政府がもう一度考え直すべきである。

本サイトに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。
このサイトについて
リンクについて   著作権について   免責事項について
ご意見・お問い合わせ
 

home

―――チベットカム山岳研究同好会・最終更新日:2009年2月26日―――